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ジークフリートの育て方

20120213jhmMETライブビューイングで「ジークフリート」を観てから、あの大役にアンダースタディーから抜擢されたジェイ・ハンター・モリスは、いったいどうやってあの役にたどり着いたのかという点について興味を持ちました。

テノールにとって最も歌うのが困難ともいわれるような大曲の大役を、歌うあてもなく一人で勉強するなどということはとてもできないでしょう。

有名人気歌手なら本人がやってみたいと思って歌劇場側に提案するとか、歌劇場の方から次の主役にと声をかけるということになるのでしょうが、おいそれとはできないような役のアンダースタディーはどうやって準備するのか?

ジークフリートはどのように育てられたのか、Opera News のインタビュー記事 Full Circle がこの疑問に答えてくれたので、翻訳してご紹介したいと思います。

フルサークル(一周して元の場所へ)

F.ポール・ドリスコルは、10月にMetの新しい「ジークフリート」のタイトルロールで土壇場での成功をおさめたテナーのジェイ・ハンター・モリスと話をした。今月、モリスはMetの「神々の黄昏」の Live in HD の放映でジークフリートを歌う。

ジェイ・ハンター・モリスが1995年にブロードウェイで「マスター・クラス」のオリジナルキャストとしてトニー・カンドリーノを創り出した時に、ワーグナー歌いとしての彼の将来を予測したものはほとんどいなかっただろう。だが、このテキサスのパリス出身者はこの前の10月、1週間未満の期間でMetの「ジークフリート」の新演出のタイトルロールに取りかかった際に、正真正銘のヘルデンテノールの大成功を収めた。今月、モリスは新しい「神々の黄昏」のカンパニーのジークフリートとしてMetに戻り、またフル・リング・サイクルのパフォーマンスのために春にニューヨークに戻ってくる。

JAY HUNTER MORRIS: いやぁ、ご想像の通り、今年はかなり常軌を逸したドライブでした。

OPERA NEWS: どんなふうにその常軌を逸したドライブがスタートしたのかについてお話をしましょう。あなたはいつ「ジークフリート」のMetのプロダクションに足を踏み入れようとしていると気がついたのですか?

JHM: たぶん本当はサンフランシスコ(・オペラ)までさかのぼるべきなのでしょう。実際のところ、そこで私にとってすべてが好転したのです。私はあそこで - (2011年)2月か3月だったと思います - (ジークフリートの)アンダースタディーとして参加しました。そして2日目か3日目のリハーサルの時にそこで昇格したのです。(監督の)フランチェスカ(・ザンベロ)が本当に私を援助してくれて「彼にやらせてみたい。彼にチャンスを与えるべきだと思う。」と言ってくれました。そうしてリハーサル期間全体をやることが与えられ、それは私にとって非常に価値がありました。それ以前に私はシアトル・オペラ(2009年)で(ジークフリートの)アンダースタディーで、ロサンゼルス・オペラ(2010年)で(ジークフリートの)アンダースタディーでした。ですから私はある程度ジークフリートを - ここ最近の3年半だと思いますが - やってきました。大体のところ、私がやってきた唯一のことでした。

シアトル・オペラのスペイト・ジェンキンスが私に最初にジークフリートの仕事をくれた人でした。彼は「君はいつかこれに卓越するようになるだろう。私は君にこれを勉強するチャンスを与えよう。」と言ったのです。これを学ぶことを引き受けることがどんなに膨大なことか想像できると思います。参ったなぁ、首を括りたくなりましたよ。決して全部を学ぶことは出来ないのではないかと、ただそう思いました。(笑) シアトルでこれを何度もやっているスティー・アナセンを観ることができました。それからロサンゼルスでアンダースタディーになってこれを何度もやっているジョン・トレレーヴェンを観ることができました。そして非常にたくさんのことを彼ら二人から学びました。サンフランシスコで自分の番を得た時、実際にそれに取り組むことができて、自信を持つことができました。私は「おやまあ、できるじゃないか。」と思ったのです。

私がニューヨークに(Metのプロダクションのジークフリートをカバーするために)着いた時、私は本当の自信の基礎は確立していました。(「ジークフリート」の)初日の1週間前に呼び出しが来た時、自分が完全に準備ができていると感じたかは解りませんが、用意はできていると感じました。ピーター・ゲルブが私の目を見て言いました。 - こんな言い方を許してくださいね、でもあれは彼と私の come-to-Jesus moment(決定的な決心の瞬間)でした - 「君は本当にこれをやることができるかね?」そして私は「はい、できます。」と言ったのです。
(come-to-Jesus moment 訳注:直訳的には自分がイエスを救い主として信じると決めた瞬間とかイエスの招命に従うと決めたという宗教的な言い回しですが、転じて決定的な決心の瞬間という意味のようです。宗教的な言い回しを世俗的なことに使っているので「許してくださいね」とわざわざ断っているようですね。)

金曜日の午後、短いちょっとしたリハーサルをマエストロ・ルイジとおこなったので、彼は私が提供するものを気に入るかどうか見ることができました。(笑) 私たちは実際はさほど長くやる必要はありませんでした。彼は私と何かやってみて、彼が何を望んでいるかを私に示し、私は彼を理解しました。私は彼のスタイルと彼がリードする方向を理解したのです。本当にリハーサルについてはいい感触を持ちました。彼もそうだったと思います。

それで「土曜日にリハーサルを - これは舞台上でのオーケストラリハーサル -をやり、月曜日に最終ドレスリハーサルをするつもりだ。そして木曜日に初日だ。」と言われました。そのようにしてどちらも舞台の上でオーケストラと一緒の2回のリハーサルをやりました。そしてあそこにいたのです。

ON: 1月と2月に取り上げる「神々の黄昏」について話してください。

JHM: これはサンフランシスコではやらなかったのです。あそこでは「ジークフリート」だけをやりました。

ON: でもあなたはロサンゼルスとシアトルで「神々の黄昏」のカバーをやりましたね。

JHM: ええ。スティーとジョンは「ジークフリート」と「神々の黄昏」の両方を歌いましたから、実際、私はシアトルとロサンゼルスの両方でたっぷりと「神々の黄昏」のリハーサルをしました。現にロサンゼルスではオーケストラで最終ドレスリハーサルを歌うことができました。ですからまさかと思うでしょうが、実は私にとって「神々の黄昏」の方が「ジークフリート」より恐ろしいオペラではないのです。

ON: それがより恐ろしくないのは単純にそれについてのあなたの経験のせいでしょうか、それとも歌う立場からなにかより容易だと考えているからなのでしょうか?

JHM: より容易だと思っています。ここに問題があります。両方のオペラのただ言葉の量の規模(笑)をみると、それらの楽譜の中には本当にとても簡単なページは多くはありません。それはみんな複雑で、みんなとてもチャレンジングです。ですからこれの勉強を始めた時、自分自身にこう言いました。「よし、いいか。自分はこれからやろうとするお気に入りの場所を見つける必要がある。そう、最もそれをやるのが自分にとって楽しい部分が。そしてそこからスタートする必要がある。そうすればこのプロセスに明るい気分で取り組めるぞ。」

それで私は「神々の黄昏」の死のシーンが大好きなのです。あれは私にとってこれまで歌ってきた中でお気に入りの1つになろうとしています。ですからあそこが私が最初に勉強した箇所でした。あの役のアンダースタディーを始めた時、自分自身に言いました「いつかこのシーンをオーケストラで歌いたいものだ。とにかくそうしたら、どんなにか嬉しいことだろう。」と。そしてシアトルではそれをリハーサルでオーケストラと歌うことができ、ロサンゼルスでは最終ドレスリハーサルをやることができました。

正直に言うと、過去2、3年は職業上、言ってみれば干上がったような状態でした。近い将来にはほんのわずかな仕事があるだけ。「再びお金をもらって歌うことはないかもしれない。ほかに何かすることを探すべきなのかもしれない。」という事態に直面して、それから私が今年与えられたようなチャンスをもらうと、驚きを通り越しています。(笑) Metで「ジークフリート」を歌えたなんていまだに信じられないです。つまりあの1週間半か2週間は私にとって記憶がぼんやりしているのです。昼も夜もアドレナリンが出っ放しのような感じでした。あれはあまりに非現実的でした。そして、おわかりだと思いますが、あの2週間、私にとって最もつらかったのは私が歌っていない夜でした。あそこに座って待って、考えて、待って、考えて、「明日、何を歌わなければならないか思い出すんだ、おい。」恐ろしかったですよ。でもひとたび音楽が始まって、自分が役柄の中に入りこみ音楽の中に入ると、それは楽しく熱狂的な経験でした。舞台上ではすごく楽しかった。(笑) そして舞台裏を歩いたり、オペラハウスの外を見るとこう思うのです。「なんてこった、自分はMetにいるんだ! 冗談だろう?」

ON: あなたが2009年からやってきた4つのリング・サイクルの4つのプロダクションの対比に対する十分な視点はありますか? シアトルのスティーブン・ワーズワースからロサンジェルス・オペラのアヒム・フライヤー、フランチェスカ・ザンベロ、そして今はMetのロベール・レパージュと全体を通して。彼らのこのサイクルへのアプローチはかなり違う方法ですよね。

JHM: 私はリハーサルをやらせてもらったし制作の過程である役目を果たしたので、間違いなくフランチェスカのが好きですね。でもそれらはみんな私にとっては価値がありました。全部好きですよ。シアトルの伝統的で美しく自然で現実的なプロダクションから、フライヤー氏の抽象的なものまで行くことによって両方の必要性を確認することができます。彼らがすべてを同じにすることはできません。彼らは対照的で違っているべきなのです。

ジョンとスティーを観ることによって - そして自分自身でやってみて - 私が考えるのはこの役の中心の核となるものだということを学びました。彼についてのすべてを演じることはできません。人々はこのやり方であなたについては多くを得ますが、ジークフリートについては多くありません。私はこの男について私が思っていて、この物語を語るのに使いたいと思う少しのことを際立たせる選択をしようと思いました。

ON: ジークフリートという役柄について、あなたが最も重要だと思うことはなんでしょうか?

JHM: 純真無垢さです。大の男がジークフリートの純真無垢さ、若々しさと天真爛漫さを演じるのは簡単ではありません。難しいことです。彼をやんちゃな子供、好ましくないティーンエイジャーとして演じるのは簡単です。でもねぇ、誰もそんなものに関心はありません。観客が不良少年の物語を語るのに5時間も座っていたいと思うでしょうか? 私はそんなのはあまり興味深いとは思いません。私にとって最も興味深い選択は、若い男性として持っている若々しさ、天真爛漫さ、純真無垢な性質を見つけることで、それらを捉えて物語を語ろうとすることです。

確かに、このオペラ「ジークフリート」では、私はこのキャラクターの成長の軌跡にとても心を奪われました - 最初のシーンに出てきた時の彼と、一番最後の瞬間にブリュンヒルデを抱きしめている彼との違い。彼は観客の目の前で成長し、観客は彼がただ男になるだけではなく英雄になるのを見て経験することができるのです。彼は恐れを知らず、ドラゴン、ミーメ、ヴォータンに直面し、それらを乗り越えるのです。

私は外に出ていき若々しくあろうとすることを楽しむのです。(笑) これは私にとっては簡単ではありません。今でも痛いんです。私の体は素早く動こうとしたことで今でも痛くて。私は実際の生活では素早く動かないんです。(笑) 私の妻がその通りと言うでしょう。軽々と、強さとパワーと敏捷さを持って動く人物を描写すること - 私にとってそれは演技なのです。

ON: でも演技することはあなたにとって目新しいことではないですよね。ゾーイ・コールドウェルの相手役としてブロードウェイの「マスター・クラス」の演技で最も早いブレイクを果たしていますね。

JHM: 完全に補足的な話なのですが、ちょっと変わったことがありました。「ジークフリート」の Live in HD の放映の日に、私はアッパー・ウェストサイドにいました。その日の朝、お昼に歌うことが始まる前に新鮮な空気を吸いたくて、コーヒーをちょっと飲んで、ジュリアードの書店に行ったのです。息子のために「Juilliard Class of 2030」と書いてある小さなシャツを買いました。そしてレジの列に並んでいた時に「マスター・クラス」の本が売られていました。あれ以来、私はこれを見ませんでしたし、読んだこともなかったのですよね。そこでこの1冊を手に取って「よし、これを買おう」と思ったのです。

そしてこれを家に持って行って自分のシーンを通して、また最後にマリアがおこなうモノローグも通して読みました。それで私はとても心を動かされました。これをあんなに長く自分がやっていたのが信じられませんでした。私はだいたい3年間「マスター・クラス」をやったのです。自分の人生を振り返ってみて - ただ自分のキャリアだけでなく自分の人生を - あれは最も魔法のような時間でした。あの一部に関われたのは自分はなんと幸運だったのだろうと。サンフランシスコで「ジークフリート」をやった直後に、ジェイク・ヘギーの”Moby-Dick”(白鯨)のエイハブ船長を歌うためにオーストラリアのアデレードに行きました。そしてこのこプロダクションの演出はレオナルド・フォグリアだったのです。

ON: 「マスター・クラス」を演出した人ですね。

JHM: その通り。(笑) あれ以来、彼と仕事をしたことはなかったんです。あれ以来彼と会うことはほとんどありませんでした。でもこの”Moby-Dick”は彼のプロダクションです。そして私がエイハブを歌うことができたこの夏、私たちはちょっと再会することができたというわけです。私たちはまたこの2月にサンディエゴでまたやる予定でした。でもその代わりに私はニューヨークで「神々の黄昏」を歌うことになったのです!

将来のジークフリート役にと見込んだ歌手に、アンダースタディーという条件で勉強をさせて育てるのですね。
しかも、ちゃんとオーケストラとのリハーサルもやらせて、少しずつ経験を積ませていくという過程が解って興味深いです。
コツコツと地道に努力し続けた結果がMetで花開いたというわけですね。

このインタビューに出てくる「マスター・クラス」は、マリア・カラスがジュリアードの学生たちに歌の公開レッスンをするというお芝居で、1996年のトニー賞をとっている名舞台です。
私は舞台は見ていませんが、日本でも黒柳徹子さん主演で上演されていたのは覚えています。

そのオリジナルキャストの1人がこのジェイ・ハンター・モリスだったのですね。
当時の記録が Playbill Vault にあります。
舞台に登場するのはたった6人の芝居ですから本格的。

当時のモリスの写真もこれとかこれとかあるのですが、15年ぐらい前だというのに、あまり変わっていないというか、昔の方がなんだか老けて見えるというのが面白いですね。

そしてこの時のマリア・カラス役のゾーイ・コールドウェルは、現在公開中の映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」に主人公オスカーの祖母の役で出演しています。

なお、この記事の冒頭の写真は、ジェイ・ハンター・モリス本人の Twitter のこちらからお借りしました。間もなく3歳になる一人息子のクーパー・ジャック・モリスちゃんとの微笑ましい写真です。

 

さらに、アメリカのラジオ NPRでは「神々の黄昏」の Live in HD の生中継があった日に、モリスのインタビューを放送していて、ネット上のこちらで聴くことができます。

このインタビューの内容はすべてこちらに書き起こされていますが、その中から一部をご紹介しましょう。インタビュアーはスコット・サイモンです。

サイモン: まず最初に、あなたはパリス生まれですね。

モリス: はい。テキサスのパリスです。あそこはオペラ歌手やクラシックの音楽家にとってぴったりの培養地ではありませんが、私は南の方で育って教育を受けたことは世界で最も幸運な子供のように感じています。あそこには、私をこのメトロポリタン・オペラの舞台に導くであろう兆しはたくさんはありませんでしたが。

サイモン: ではどうやってあなたはオペラを知ったのですか?

モリス: そうですね、ご存知の通り、私はこの人生でずっと歌ってきました。私の父は南部バプテスト教会の音楽担当の牧師、母は教会のオルガニストで、私がやっていたことはアメリカの他の子供たちがみんなやったことでした。私は教会の聖歌隊で歌い、高校ではロックのガレージ・バンドで歌いました。でもどれも本当には上手ではありませんでした。多くのことはそこそこという程度でした。

大学卒業後、私はナッシュヴィルに引っ越し、えー、ちょっとゴスペルとかカントリー・ミュージックとかを続けていました。私は若い頃にとても牧師の背景に関わっていたものの、それらに関するものについてはどれも本当にはやる気も大した情熱も持っていませんでした。そして、ある友人がダラスの「椿姫」を観に私を連れていったのですが、私はそのすべてのプロセスにすっかり魅了されてしまい、友人に一晩中質問し続けたのです。え、ちょっと待って、彼らがマイクを使っていないというのは本当なの? と言うのは、私たちは 3,000席のオペラハウスにいて、あの女性は仰向けに横たわって歌っていたのです。私には解らなかった。彼女はどうやって声をあんなふうに使うことができるのか? 私はすべてのプロセスにとても魅了されてしまったのです。

そしてもちろん、終演後あたりをうろついて、キャストの人たちが出てくるにつれて彼らと話をしました。信じられないことに、そのテナーはアルフレード・クラウスでした。彼はご存知の通り伝説的な歌手ですが親切な紳士で、私に私が行ってヴォイスレッスンを受けることになる仲間を指し示してくれました。そしてヘイワード氏は、いいかい君、君はあそこの声を持っているかもしれない、と言ったのです。少し仕事をしようとしているところだが、もしも君がここに来て私と一緒に仕事をするのなら、私たちが何ができるか見てみよう。そして、私を前に駆り立てるこの芸術形態は本当に私が愛するものになり、それはスリリングでした。

「ジークフリート」の幕間のインタビューで、自分はバケツに何杯もの幸運に恵まれたとモリスは言っていましたが、偶然の出会いとかめぐりあわせとか、いろいろあって今の彼があるわけですね。
彼を「椿姫」に連れて行った友人は今頃鼻高々でしょうし、彼を将来のジークフリートと見込んだ人たちもさぞかし喜んでいることでしょう。

モリスは自分の年齢についてはちょっと濁しているようですが、さまざまな情報を突き合わせて推定された生年月日が Wikipedia に掲載されています。

 
【おまけ】
今日の夕方になって入ってきた情報によれば、Metの「神々の黄昏」のためにモリスが降板した、サンディエゴ・オペラの「白鯨」ですが、どうやらモリスに代わって主演しているベン・ヘプナーが体調不良で初日の後降板し、21日には再びモリスが歌うようです。
去年の夏にアデレードで歌っているとはいえ、リハーサル期間なしの助っ人ですから大変ですね。

twitter/punkt_ochibo

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