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サイモン・キーンリーサイド、マクベスについて論じる

Simon_keenlyside現在、ロイヤル・オペラでヴェルディの「マクベス」を主演中のサイモン・キーンリーサイドのインタビュー記事を1本ご紹介します。

WhatsOnStage.com: Simon Keenlyside discusses Macbeth

すでにキーンリーサイドのファンの方にとってはよくご存知の、彼の経歴などが手際よくまとめられていますし、マクベスや今後のキャリアについての考えなどがわかる、なかなか良い記事だと思います。

サイモン・キーンリーサイド、マクベスについて論じる
2011年5月23日

ロイヤル・オペラ・ハウスの彼の楽屋で私たちが会った時、サイモン・キーンリーサイドは左腕を、何か重大な継続中の筋肉治療のために固定化されているにもかかわらず、リラックスしていた。彼がこの国の最も引っ張りだこの歌手であることを考えると、それに相応する大きすぎるエゴとともに存在している専門的職業の感覚からは程遠く、穏やかで控えめな印象を与える。彼は伯爵(フィガロ)、ドン・ジョバンニ、パパゲーノ(魔笛)を含む、たくさんのオペラの主要なバリトンの役を歌ってきていて、より最近では、ヴォツェック、ポーザ(ドン・カルロ)、リゴレットや、ウィーンで高い評価を得たデビューに続き初めてロンドンのロイヤル・オペラと共に彼がまさに歌おうとしているマクベスを含む「より重い」役を彼のレパートリーに加えている。

彼の初期の声楽のキャリアは既定のこととして生じた。「私は音楽好きの両親にこれらの音楽学校、ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジに送り込まれて、私の人生は今のやり方とあまり似てなくもなかった。少年時代の60年代、アメリカ、カナダ、ヨーロッパやオーストラリアに合唱団とともに旅行したもので、それは今とまったく同じなんだ。私たちは Argo や Decca のために録音をした。8歳から15歳にとっては風変わりな子供時代だったけど、私は大好きだったよ。」彼はいくらか機能不全の経歴を持っていて、歌うことは時には喜びよりもむしろ慰めだったことを認めたが、それは、彼の動物学の学位をひとたび終えた後に4年間、RNCM(Royal Northern College of Music)で勉強する動機となった彼の歌うことへの愛情で、言葉を学ぶためにドイツに引っ越した。

「私があまりにドイツリートのファンだったので、私の先生、ジョン・キャメロンという素晴らしい人がドイツに行って住むように私にアドバイスし、それで私はその言葉を学び、それがハンブルク・オペラに雇用される結果になった。歌劇場でアンサンブルの一部になることは、まずは小さな役を歌って常に役を加えていきながら自分のキャリアをとてもゆっくり学ぶように、歌手としての進歩には重要で、これは自分の仕事を学ぶのに最良の方法だった。これは素晴らしいシステムなんだ - これに対して報酬をもらい、一日の終わりには家に帰って自分自身のベッドに行く。」

サイモンが享受している注目を浴びるキャリアを考えると、たくさんのハイライト部分があるはずであるが、彼にとっての素晴らしい瞬間はスポットライトから離れたところで起こった。「私はザルツブルクでリチャード・タウバー賞で優勝するという信じられない幸運を得たが、セーナ・ユリナッチのところで勉強するよりも、3ヶ月間の語学コースに行ってしまい、ところがそこに居続けるには賞金は十分ではなかった。私はユースホステルに滞在して他にどこも歌う場所がなかったので、夜中に森の中で歌ったよ。誰かの助言を求めようとザルツブルクのモーツァルテウムに入り込もうとしたが、警備員が私を入れようとはしなかった。そしてある日、警備員がそこにいなかったので、私は滑り込んで声楽クラスを聞いたんだ。」サイモンは先生のルドルフ・ノールに話しかけ、彼が「セヴィリアの理髪師」を6小節歌うのを聴いた後、彼が3週間毎日行っているクラスに参加するために戻ってくるように指示した。「彼は私には何も要求せずに Hilbert Agency の Busse氏に紹介してくれて、彼が私をグラーツ、ブレーメン、そしてハンブルクのオーディションに送り、私の最初の仕事を得たんだ。」

話をヴェルディに、特に「マクベス」に戻して、これには通常大きくドラマティックなイタリアン・ヴォイスがつきものであるが、サイモンは本質的に叙情的なバリトンの役を歌ってきているので、最近まで私はしきりにこの発展がどうして起こったかを見極めようとしていた。「私は5つの役を後ろポケットに入れて、世界中を旅してまわることで安定することもできただろうし、ひと財産つくることもできただろう。でもそれは私が目的にしていることではない。私はとても慎重な男で、非常に短い「椿姫」のジェルモンの役を経由してヴェルディのレパートリーにとてもゆっくり足を踏み入れた。その次が『ドン・カルロ』のポーザだ。私はこれらを何度も試してみて、自分自身考えた『私は現実的なのか、それとも大ばか者なのか?』 問題は、多くのジャーナリストたちが、音量を上げた戦後の素晴らしいアメリカ人バリトンとして聴くだろうということだった。だが策を講じる方法はたくさんある。」

レオナルド・ワーレン、レオ・ヌッチ、ロバート・メリルやジュゼッペ・タッディがヴェルディを歌うのを聴くと、そのすべての音がまったく異なると彼は正しく指摘し、「それでこれは私に『なるほど、自分ではない何かになろうとしなくてOKだということだ。』と思う自信を与えてくれた。」彼がレパートリーにより重い役を加えているという事実を踏まえて、彼は古い役と新しい役の混合を、パパゲーノのように手放したくないと思っているものに加えて維持し続けようとしている。「私は決して魔笛にうんざりすることはないのでレパートリーを変えないけれど、毎月毎月、毎年毎年、自分の声を叩きつけながら世界中を回りたいとは思わない。だがほとんどの歌手は、私がすでにそうであるように40歳になるとすぐに分厚い役を網羅するが、私はそれらを全部歌いたいとは思わない。私はただそれがどんな具合か、次々確かめているところなんだ。」

彼は明らかに、楽譜の中のヴェルディ印に細心の注意を払うアントニオ・パッパーノと一緒に「マクベス」の仕事をすることに興奮していた。「ヴェルディの時代よりもオーケストラの演奏はより音が大きくより音程が高くなっているので、オーケストラの演奏が音が大きすぎないように抑えた状態にしておくのは指揮者の仕事だ。私はパッパーノ氏が彼のイタリアのレパートリーを愛していて、歌手に思いやりがあるのを知っているので、私はずっと『叫ぶ』必要がないだろうということが分かっていた。マクベスの役で最も難しいのは、この役にふさわしい色合いを見つけることなのだ。ひとたびそれを見つければ役柄はついてくるし、私がすべての人を満足させることはないのは分かっているが、勇気は持とうとしている。私はこの役や他の役の歴史を勉強するのに多くの時間を費やして、自分が知ったことを有効で生きたものにすることに夢中で、そのことが私にこのようなタイプの役を取り入れることの妥当性を与えてくれる。私はこの役のもっと筋肉質な響きの提唱者の誰かのまねをしようとは思わないが、私が伝えることができる範囲でそれをやるつもりだ。ほら、人生と呼ばれるこの滑稽で混沌とした大騒ぎの意味を理解することはできないけれど、音楽はとても私を助けてくれるのだ。」

サイモン・キーンリーサイドは、5月24日からロイヤル・オペラで、フィリーダ・ロイド演出によるヴェルディの「マクベス」の再演でタイトル・ロールを歌う。

- by キース・マクダネル

キーンリーサイドがリチャード・タウバー賞で優勝したのは、このコンテストの公式サイトによれば1986年のことです。

twitter/punkt_ochibo

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