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リリック・バスの王

Wsj_rene_pape間もなくメトロポリタン・オペラの公演で来日してくれるのを記念して、半年前の2010年10月19日、ニューヨークでボリス・ゴドノゥフを主演するのに合わせてウォールストリート・ジャーナルに掲載された、ルネ・パーペのインタビュー記事をご紹介します。

The King of the Lyric Basses

東ドイツという制約がある中で育ち、音楽教育を受けてきたというその経緯について語っているのがとても興味深いです。

リリック・バスの王

            By バリモア・ローレンス・シェーラー

ニューヨーク

「私がドレスデンで子供だったころ」 とルネ・パーペは言った、「ゼンパー・オーパーの廃墟でよく遊んだものです。」 第二次世界大戦中に連合国に爆撃されたこの街の19世紀のオペラハウス。「でも私がオペラそのものにかかわったのはずっと後のことです。私が最初にすごく愛した音楽はバッハとハインリッヒ・シュッツでした。」

我々の時代の傑出したリリック・バスとして広く認められているパーペ氏、46歳は、メトロポリタン歌劇場から角をまがった辺りでディナーの間私と話をした。ここで彼は目下のところ、このカンパニーの新プロダクション、ムソルグスキーのオペラでボリス・ゴドゥノフとして君臨している。

ボリスとしての Metへの出演は彼にとって初めてだとはいえ、パーペが罪悪感を抱いた16世紀のツァーを演じるのは、ベルリン国立歌劇場で2005年にこの役を試してみたのと2008年にゼンパー・オーパーで再構築したのと3度目である。双方は現代の服装だった。 Metでは対照的に、「セットは伝統と現代の発想の混合ですが、衣装は伝統的なものです。」と彼は言った。「この役をアルマーニのスーツで演じると、このツァーはただの現代の男として演じることになります。でも、伝統的な皇帝の衣装を着れば何か全く他のものを演じるのです。」 これはパーペにとって、歴史のボリス・ゴドゥノフなのだ。 - 高貴でも王族の生まれでもないにもかかわらず、1598年の政治的混沌の中で選ばれた、多くの玉座を狙うものにおびえていた男ではあるが能力のある進歩的な統治者。

ほとんどのロシアの貴族階級に簒奪者とみなされていたツァー・ボリスは、彼が皇太子ドミトリーを殺害したといううわさにつきまとわれた。そこでこの役について議論する際に、 ムソルグスキーの音楽にボリスその人にとても共感する性質が与えられていることについて - 彼の子供たちとのシーン、とりわけその死のシーン - パーペ氏はボリスを善人と見ているのか、それとも真実を隠した悪人と見ているのかたずねてみた。「歴史はどちらとも取れるので、演出はプロダクションによって変わることができます。」と彼は答えた。「私は彼を、その核心では良い心を持った男として演じています。」

演じるのがボリスであろうと、ワーグナーの神の王ヴォータンであろうと、あるいはモーツァルトの飽くことをしらないドン・ジョバンニであろうと、パーペはセックス・アピールを切望する観客にお誂え向きの歌手である。だが、オペラの目利きたちにとってより重要なのは彼の壮麗な声だ。舞台で彼を聞いた、あるいは最近の2枚のCD、"Gods, Kings & Demons"(王者と悪魔のようなバス・アリアの独唱)と、マリンスキー・オペラのワーグナーの「パルジファル」(この中で彼はグルネマンツである)の録音を聞いた人は誰でも、厳密に歌という項目の中における、彼のオーラのパワーを理解するだろう。彼の音色のチョコレートのような豊かさは、1920年代や30年代のエツィオ・ピンツァやアレクサンダー・キプニス、我々の時代に近いところではクルト・モルやマルッティ・タルヴェラのようなバスを思い出させる。彼らのように、パーペはレガートの優れた感覚 - 滑らかで途切れ目のないフレージングは、最高のベルカントの特質である - を、聞く人の心を貫く感情的な切迫感と同様に持っている。これがなぜ彼が観客たちを、すべてのワーグナーのキャラクターの中で最もくどい「トリスタンとイゾルデ」の不貞の妻を持ったマルケ王に、心から共感させるのかという理由である。

今でもドレスデンの住人であるパーペは、彼の成功のいくらかはドレスデンの由緒ある聖十字架合唱団における彼の音楽的な基礎のおかげであると考えている。「私たちのレパートリーは、バッハ、シュッツや他の人の主に宗教音楽でした。」と彼は言う。この壮大なレパートリーは厳しい練習を必要とし、声楽と器楽のテクスチャーの複合体の真っただ中から、自分自身の音楽の旋律に集中する能力と同じように、対位法をマスターする優れた訓練を提供した。

彼がこの合唱団に8歳半で参加した時トレブル(訳注:最高音域)を歌い、彼は聖歌隊員以上になろうとは決して思わなかったと語っている。それにもかかわらず、「自分はあれよりももっと才能がある。」という気持ちが、聖十字架合唱団とドレスデン音楽学校における勉強をやり抜かさせた。機が熟し、彼は東ドイツにあった56の歌劇場の1つの地位のためにオーディションを受け始めた。「A、B、Cと3つのランクのグループがありました。」と彼は説明した。「私は自分のオーディションで最も高い評価を獲得し続けたので、2つのAグループの歌劇場、ドレスデンとウンター・デル・リンデンのベルリン(国立歌劇場)の間の選択を提示されました。」だが選択は明快だった。ドレスデンがパーペに提示したのは若手芸術家プログラムのバージョンだったのに、ベルリンは彼に一人前の芸術家会員を提示した。「私はベルリンを選びました。そしてこれは私がこれまでにした最高のことでした。」彼は1988年にデビューをし、その登録名簿に残っている。

翌年ベルリンの壁が壊された。今から思うと、彼が鉄のカーテンの後で成長したことが彼の芸術的進歩に影響があったのだろうかと聞いてみると、パーペはこう答えた「私は自分自身に何度もたずねてみました。でも、別の生き方を知らなかったのだから、それについて本当に考えることはできないと気がつきました。私の教育が隔離されていたからより良かったと言うことはできませんが、東か西かに関係なく、とても良いものだったと言うことはできます。ドレスデンは世界最古のオーケストラとオペラと合唱の長い伝統を持っているのです。バッハがライプツィヒにいたように、シュッツはドレスデンにいました。この伝統は東ドイツが存在するずっと前に確立されていました。」彼は付け加えた「政治的分裂のすべては最近のたった40年間のことで、これは世界の歴史全体を考慮したら何でもないことです。」

たとえそうだとしても、新しい録音を東ドイツで手に入れることは簡単ではなかったことを知っているので、彼の若いころに何を聞いたのかパーペにたずねてみた。

「私は周りがとても質素なところで育ったので、芸術的なものにたくさん接することはありませんでした。でも学生の時に、両親が大量のレコードのコレクションを持っているクラスメイトがいたのです。それでほとんど毎日、私たちは繰り返し繰り返し録音を聴きました。まったくバスを聴くことはなく、テノールだけでした。純然たる喜びのために。それらをコピーすることはしませんでしたが、彼らの手本についていこうとし、できる限りレガートで歌おうとしました。たとえドイツ語のレパートリーであっても、このベルカントの手本はとても役に立つと気付いたのです。」そうは言っても、バス歌手たちの中で彼の個人的なアイドルはジョージ・ロンドンだった。「私はたくさんのロシア人の『ボリス』の録音を持っているのですが、むしろロシア人ではないロンドンの方がロシア語のディクション(訳注:歌曲などの歌詞の発音の仕方)が良いのです。」

私が方々で繰り返し、パーペがボリスを歌うのには少し若いという意見 - これは偉大なロシア人バス、フョードル・シャリアピンはだいたい29歳からこの役を歌い始めたという事実を無視している - を読んだことについて言及すると、パーペは反応した:「私はこういったことを20年間言われてきています - マルケ王に、フィリッポ王に、ザラストロにあなたは若すぎると。私は27歳の時にマルケ王を歌いました。フィリッポ王とザラストロは26歳の時に歌いました。ようやく私は自分の役の歳まで成熟しました。ボリス・ゴドゥノフは47歳でツァーになり、私は46歳です。そしてボリスの時代、46歳はすでに老人でした。」 さらにパーペは断言した、「これがなぜ私たちが良い俳優でなければならないかという理由でしょう。とにかく、もしも30年か40年の声楽のキャリアを与えられたなら、自分の声がほとんど終わりになるまで、ある役を演じるのを待たなければならないのでしょうか?」

それでは、どんな最も優れた者の役が今でも取りかかられるのを待っているのだろうか? 彼は答える前にしばらく考えた。「良き夫と良き父親。これが私の最終的な役でしょうね。」と、現在は婚約中で、前の結婚でもうけた二人の息子を持つパーペは言った。「そう、私がまだ歌っていない役はたくさんあります。でも私たちには「すべての結婚式で踊ることはできない。」という意味のドイツ語の語句があります。私がキャリアを終えるとき、もちろん私が歌ったことがない役があるでしょう。四六時中、まだ自分がやり遂げていないことを全てやり遂げなければと心配していたら不幸なままです。でも自分自身の幸福と、自分が愛する人々の幸福が最も重要なことなのです。これは私が学んだ教えです。」

この記事の中でもパーペの声をチョコレートにたとえていますが、やはり同じようなことを考えた方がいるようです。
東京の帝国ホテルで、メトロポリタン・オペラ特別メニューの1つとして、本館1階の「ランデブーラウンジ」で「ルネ」という名前のチョコレートケーキを期間限定で出すとのこと。

Cake_rene ケーキ「ルネ」

メトロポリタンオペラの『ドン・カルロ』に出演するルネ・パーペ氏が、2007年日本公開映画『魔笛』にて、ザラストロ役を演じた際の威厳と包容力ある歌声を表現いたしました。パーペ氏も絶賛のチョコレートケーキを、この機会にご賞味ください。

期間:2011年5月1日(日)~6月19日(日)

また、オペラ・ブログのこちらによると

★「ルネ」にまつわるSTORY★

 『ドン・カルロ』に出演するルネ・パーペ氏の包容力あふれる歌声をイメージして作り上げたチョコレートケーキ です。2007年、パーペ氏が出演した映画『魔笛』が日本で公開された時に期間限定で提供し、お客様に好評いただきました。パーペ氏がこのケーキを大変気 に入ってくださったことから、「ルネ」の名をいただき、このたび再び期間限定で販売します。チョコレートのビターな味わいと、ほんのり甘いキャラメルとの 相性のよいデザートです。

チョコレートケーキというのは、なかなかいい線いってる感じがします。

でも、Twitter上で「ルネ」というケーキの名前をルネ・フレミングからとったのかと勘違いしている人がいたのがちょっと可笑しかったです。

帝国ホテルは、かつて上のインタビュー記事のなかにも名前がでてくる、ロシアのバス歌手シャリアピンのために、シャリアピン・ステーキを考案して出した、という有名な話があります。
ここはぜひ、このチョコレートケーキ「ルネ」も後世に名前を残していただきたいものです。

ケーキcake に名前が残ったバス歌手なんて、なんかいいですよね。happy01

twitter/punkt_ochibo

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