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「ザ・ロード」撮影日記(4)

少し間があいてしまいましたが、スペイン版 Esquire の1月号に掲載された、「ザ・ロード」の撮影監督ハビエル・アギーレサロベの撮影日記の4回目、最終回です。(1回目2回目3回目

この記事のスキャン画像はviggo-worksのこちらに、またこちらには Ollieさん、Remolinaさん、Rioさん、Sageさん、Zooeyさんが英訳してくださった記事があります。

例によって、ちょっとネタバレの部分は文字の色を薄くしておきます。

著者の訪問

コーマック・マッカーシーが、この開けた風の強い場所の私たちをちょっと訪れた。彼はコディととても近い年齢の息子と一緒に来た。その子が父親と一緒にいるところを見ると、私たちがそこから取り出したこの物語のインスピレーションを理解した。コーマックは口数の少ない人で、極めて礼儀正しかった。彼は邪魔をしたがらなかった。彼は私たち全員の後ろに場所をとり、何が起きているか1つの細部も見逃さなかった。私が、彼が箱型カメラの1つで私の写真を撮っているのを見つけると、彼は何か悪いことをしたところを捕まった人の表情で私を見た。結局、私たち2人は微笑んだ。この日は長かった。雨天の日。氷のような風。

コーマックは決して彼の監視できる場所をあきらめなかった。この日の終わりに、彼は私に翌日の召集時間を尋ねた。いつものようにとても早い。あなたは夜明けに起きる必要はありませんよ、と私は彼に言った。彼は気にしないと言った。彼はスタッフの一員であるかのように姿を見せるだろう。これは私を驚かせた。2日目、私たちはヴィゴが彼の息子のために、岸から約百メートル離れて座礁した船の中で薬を見つけようとするシーンを撮影した。気温は8℃にもなっていなかったと思う。そして風が私たちの顔に激しく吹きつけていた。私はこれを言うつもりはなかったが、カメラの後ろで私たちはみなゴアテッククのフードのついたパーカーを暖かく着込み、その前でヴィゴは、完全に裸で、凍えるような波に入っていた。この日の撮影の後、ホテルに戻って、コーマックはこの撮影の彼の感想を語った。彼にとってこれは良い経験になった。彼はまた私に、現在はニューメキシコに住んでいると話した。私は彼に私の映画のうちの1本を送ることを承知した。そして私はマドリッドからそうした。いつの日か、誰かがどうして ”El Sol del Membrillo”(マルメロの陽光)とか”Mar adentro”(海を飛ぶ夢)といったタイトルが、結局この著者のライブラリーの中にあるのかと不思議に思うことだろう。

 

忘れられないシャーリーズ。すでに私たちはほとんど撮影の終わりだった。3日を残すだけで、すべての技術者たちの部隊はポートランドに集結した。そこにシャーリーズ・セロンが登場した。彼女の役は「フラッシュバック」のシーケンスに限定されていて、この映画のいたるところでヴィゴによって思い出される。シャーリーズはとても美しい女性であるのに加えて、感じが良くて社交的だ。彼女はだれとでも冗談を飛ばすのが好きだ。いつも微笑んでいる。私にとって、そして思うにすべての人にとって、彼女の登場は、撮影の最終段階にみなぎる、新鮮で暖かな空気のそよ風のようだった。本当のところは、私たちはみな頭をどこかよそにやって疲れ果てていた。そしてシャーリーズが私たちの目を覚ませた。私たちは彼女の膨大な生命力に魅了された。

そして、私たちがそこでほとんど家の四方の壁から離れなかったこの3日間は、結局忘れられなくなった。この女性について私が感心させられたのは、劇的な状況と他のもっとリラックスしたものとの間を行ったり来たりする素晴らしい能力だった。「ザ・ロード」の中のヴィゴの妻として、彼女は出産のふりをすることができ、彼と彼女自身の特別な死の可能性について議論し、それが可能だったとき人生の幸福を楽しむ。彼女はこの映画の中で最も色彩豊かで輝いたイメージの中心人物だ。私にとって彼女は地球を象徴している。その生命の本質、大災害が起きてそれが壊滅させられた終末の場所に変わってしまう前の。また、シャーリーズはシーン48のキーだった。私のノートに赤鉛筆で印をつけられたもう1つのシーンだ。この映画の中で最も困難な、最も恐ろしくそして暗いシーンの1つで、私がことのほか心配していた。私は今、彼女の夜の影に向かった、決然として気品ある歩みを思い出す...

 

火山の天辺で。この映画はオレゴンで終わると想定されていたにもかかわらず、私たちはまだ取り上げるのを残した1つのシーンがあった。たぶん、最も印象的で壮大な。その上、私たちはポートランドの近くにいたが、雪の深さが私たちがそこで撮影する際に近づくことを不可能にした。私が言及しているのはワシントン州の南に位置する火山のセント・ヘレンズ山だ。

この理由のため、私はスペインからこの象徴的な場所に戻ってこなければならなかった。1980年の5月、セント・へレンズで噴火が起きたが、これはアメリカの領土で最も壊滅的なものだった。内部の計り知れない力の噴火は、57人の人々と何千もの動物の死を引き起こし、膨大な広がりの土地の壊滅に巻き込み、灰と火山泥の分厚い層の下に姿を変えた。

この山とその周りの荒廃した地域が「ザ・ロード」にとって重要だった。これはたった1日の撮影で、私たちは非常に有益なイメージを得た。私はこの火山の麓で、ヴィゴ、コディ、ジョン・ヒルコートや最も近い仲間たちと再結集した。この日は天気も協力した特別な日だった。太陽は分厚い雲の後ろから出ようとはせず、初日のように良い旅の仲間だった、セント・へレンズ山は「ザ・ロード」の中で、巨大な主役として存在している。この映画は、その荒廃した道路が存在することによって別の次元の様相を帯びた。その硬直した木の幹がまだ立っている状態で。あるいは枯れた木材に水面が覆われたスピリット湖の映像。映像を映すように私たちを招く風景だ。自然の荒廃に対して私たちが反応するのを助けることができる不吉な前兆のイメージだ。

 

賽は投げられた。ひとたび撮影が終わると、撮影の長としては無視することができないいくらかの仕事が残っている。編集が明確に確定し、音楽がすでに混ざって編集済みのフィルムに合体すると、最終版がやるために残っている。このプロセスの間、私たちはもう一度この映画に入り込む。賽は投げられたように見える。映像はすでに撮影の中で捉えられている。だが、まだやることがたくさんある。これは細部への、質感への、色への注目で...そして、今回は創造者としての感覚により近く、その海を期待しながら「ザ・ロード」は再び歩き始める。その最後の目的地は私にとって夢だ。たぶんそれは、最初に脚本のページが私の指を通り抜けた時に持ったものと同じなのだろう。

最後の撮影がおこなわれたセント・ヘレンズ山とスピリット湖の衛星写真画像を、Google Map のこちらで見ることができます。衛星写真で見ても、異様な景色であることがわかりますね。

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