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The Road : ジョン・ヒルコートの日記(4)

Telegraph の「The Road : ジョン・ヒルコートの日記」の続きです。( (1)(2)(3)

ちょっと長いですが、2008年3月のところから最後までをまとめてご紹介いたしますね。
また、撮影中の日記の内容は相当ネタバレなので、文字の色を薄くしておきます。お読みになる場合はマウスでドラッグしてください。

 

【おまけ】本日の朝日新聞の真ん中に掲載されていた、Globe の Bestseller in London という記事で、昨年 Times紙が掲載した、過去10年間の名著100冊のトップが、”The Road”だったということで紹介されています。
もう少しすると、朝日新聞 Globe のサイトの「Bestseller 世界の書店から」のコーナーにもアップされることでしょう。

3月3日

私たちは今日、感情的なあるシーンを撮影した。...

ということで、今まで繰り返し言及されてきた、水でコディの頭を洗うシーンで、あまりの冷たさにコディが本当に泣きだしてしまったものの、それでもコディが演技を続けた...というあの撮影の話になります。詳細はもうさんざんご紹介していますのでちょっと省略。

この後、私たちは、コディが寒すぎる状態になったらいつでも私たちに知らせることを明確にした。2人の俳優たちは徐々に周囲の環境が取り除かれたが、ヴィゴは意図的にもっとより肉体的に自分自身を没頭させようとしてカイロを拒否し、特殊効果チームに水をスプレーさせさえしたものだ。この時気温は-6℃と低かった。

 

3月8日

天気は青い空に太陽と良くなった - これはひどい。誰もが太陽をブロックアウトしようと2倍一生懸命働かなければならなかった。雲に覆われて惨めに寒いと、私たちはみな有頂天だった。

次の番は、父と息子が人食いたちの食料戸棚である地下に人々が閉じ込められている家に出くわすシーンだった。私たちはこのシーンのために、痩せこけた人々と手足を切断している人を公募していた。誰もがごみで覆われたセメントの床に裸で横たわることを厭わなかった。これはブラックユーモアの永遠の源泉になった。

 

3月10日

灰の山に戻って、ロバート・デュバルのセットでの存在は、マッカーシーの世界との本当の結びつきのように見えて、私たちみんなが刺激された。だがキャンプファイアーのシーンのためのセリフは、それが重要であったように、いささか感情よりも知性に訴える感じがした。私はそっとロバートに、より悲痛で何かしら個人的になるように、追加の何かを持ち込もうとすることについて話をした。そうして私たちは彼の最後のテイクをヴィゴが付き合って開始した。ロバートはシーンの中ほどで、最も並外れた、そして悲痛なちょっとした即興 - かつて息子を1人持っていたという -を考え出した。「カット」のコールの後、私たちはみな突然、自然に拍手喝采した。これは撮影中いつも探し求めている魔法だった。

3月27日には、森の木が倒れるシーンを撮影したそうです。

4月3日

企業の認可を手に入れることが必須だったので、私たちはどうやってこの本の印象的なコカコーラのシーン(少年と彼の父親が、自動販売機の中に最後に残っていたコークの缶を見つけたシーン。この少年はこのようなものを以前に味わったことがなかった。)を撮影したものかと思っていた。公式の回答は、ファミリー・ブランドはカニバリズムとどんな関係も望まないというものだった!さらにコカコーラはその製品をR指定の映画で見せることを決して許可しないというポリシーもあった。私たちは繰り返し繰り返し、コークを含むさまざまなソフトドリンクで、そのうちの1つが同意してくれるであろうことを期待しながらそのシーンを撮影した。そして、ヴィゴがこの難題に立ち向かって、裁決を任されているコカコーラの重役に直接連絡を取り - そして私たちが必要な承認を得た。

 

4月17日

私たちはエリー湖に移動した。泥棒のシーンは感情的にクライマックスのシーンで、ついに山場に達して父親が度を超す - 彼のモラルが足もとから崩れ、息子が彼と対決する。脚本では、少年は父親が泥棒(マイケル・K・ウィリアムズ)を相手にした時にその人間性を失ったのを見た後、完全に泣きだす。けれども、テイクを重ねてもコディはただ上手くできなかった。(これは、彼が2回のテイクで物にした、最後の死のシーンをやった後だった。)ついに彼は、泣きだすとかまた泣き叫ぶという風でなく、ただ怒りを感じると口に出した - 彼の直観は的確だった。この彼への圧力は限界点にぴったりだった、怒りと一緒になった苦痛は、彼がきちんと決着をつけるのに必要とするものだった。そしてヴィゴは即座に矢継ぎばやに応じた。真に演技をするということは反応することで、それがこの2人がどうやって彼らが行く必要のあるところに到達したかということだった。

さらに5月5日にはニューオリンズに行き、そこで加わった現地スタッフに、カトリーナの時に警察官が真っ先にお店を略奪していたのを見た話などを聞きます。

5月10日

私たちはオレゴンへ、アストリア近くの灰色の砂丘の浜辺に移動した。私たちは天気については幸運だった - 空を雲が覆い、寒く、猛烈な風とともに雨が降っていた。だから私たちは良い状態だった。コーマック・マッカーシーが、この本の共著者だと紹介した息子のジョンとともにセットを訪れた。コディは彼の息子の話し方、コーマックを「パパ」と呼ぶことに感銘を受けていた。彼はまさにこの本の中のように素晴らしく探究心のある少年だ。

コーマック・マッカーシーが本は本、映画は映画と非常に割り切った対応をしてくれたことなどが述べられています。

私はガイ・ピアース以外の誰かにベテランを演じることができるとは思わなかった。彼はとても陰影があって綿密なのだ。私たちは、この死に行く世界を生き残るために戦いながら歩き回る、このような人々がまだいると伝えたいと思ったが、ガイはヴィゴのように生き残っていると想像することができるだろう。モリー・パーカーが演じた母親のような女性の役は、上手くやるのがとても難しいものだ。この2人とも、彼ら自身の経歴と彼らが耐えてきた感情的なダメージを、限られた上映時間の中で理解させなければならない。

 

5月17日、ポートランド

シャーリーズ・セロン(この映画のフラッシュバックだけに登場する。)が、心地よく新鮮なそよ風のようにセットに到着。彼女がコディに似ていることは驚くほどで、私たちはこの映画の中で彼女の衣服をコディに伝えることでそれを強化した。コディは他のキャストやスタッフのようにたちまちシャーリーズに惚れ込んでしまった。彼女の鋭いウィットと内面的な強さが明るく輝いて、コディは完全に首ったけになって、彼女の後を子犬のようにあらゆるところについて回った。彼は妙に話しかけるセリフを企てさえした。

 

5月20日

主要な撮影の最後。全体のオープニング・シーケンスのための私たちの最後のロケ地 - セント・ヘレナ山は、いまだに6mの雪の下で、近づくことは不可能。私たちは7月に戻ってこなければならない。

 

7月27日、セント・ヘレナ山

過度の雪のために道の部分が崩壊して山から滑り落ちているが、これは私たちの崩壊する世界を造るのに助けになるので私たちにとっては良かった。誰もがとても意気揚々としていた。特に、1980年の爆発で引きはがされた巨大な第1世代の木と、それがいまだに山腹のいたるところに裸に剥かれて横たわっているのを見て。湖の水は完全に吹き飛ばされて山腹を駆け登り、行くにしたがって木を引きはがし引きずりながら洗い流して戻った。本当の自然の力を良く見ると、まったく卑小だと感じられる。

ポストプロダクションが前に進むにつれて、私たちは題材の正しさのバランスを取るようにより近づいていき、いつでも父と息子の間のラブストーリーは守っていた。私たちは音楽がないコーエン兄弟の「ノーカントリー」の例に倣わないことも選択した。私はすでにサウンドトラックに関する原案を、私の古い友人で協力者のニック・ケイヴとウォーレン・エリスと話し合っていた。

10月16日にはニューヨークで2回のテスト試写会が行われたそうです。

11月6日

今日は最後の審判の日だった。ジョー・ペンホールと私は、サンタフェに住んでいるコーマック・マッカーシーにこの映画を見せるためにニューメキシコへ行った。コーマックはボロボロの古いキャデラックを止めて、私たちはこの妙に空っぽで大規模なハイテク・スタジオに入った。後ほど明かりがついたとき、コーマックは一言も言わなかった。彼は男性用のトイレに行くと断わって20分間も行ったままだったので、私たちは「これは良くないぞ...」と思っていた。ついに彼が戻ってきて、簡単に「実に素晴らしかった。今までに見たようなものとは違う。」と言った。私が彼に詳しい話を求めようとすると、彼は私を遮って、「いいかね、私はあんたたちに大口を叩きに来たわけじゃないんだよバカタレ。」と言った。そして彼は私たちを7時間のランチに連れ出した。彼が無いのを残念がったのはこの本の中の4行のセリフだけで、幸いなことに私たちはそれを撮影していたので、中に戻した。彼はこの映画を気に入ってくれた。

 

2009年9月3日

”The Road”はサマー・ムービーではないので、私たちはこれを公開するのを秋まで我慢することにした。私たちはベネチアでプレミアを行い、ヴィゴとコディがジョー、ワインスタインズ、私とともにやってきた。私たちは信じられないほど素晴らしい反応をもらった。11分間のスタンディング・オベーションで、人々は涙を浮かべていた。そして最終的に何をするべきかもわからないまま、私たちは足を引きずって外に出て行きはじめた。

 

エピローグ、2009年12月

セットや編集室のジョークで、これが現実になる前に私たちはこの映画を公開しなければ、というのがあった。皮肉なことに、映画産業自身が今や自分自身の世界の終末に直面している。最悪の事態がハリウッドを襲った:世界的な経済の低迷と同時に、著作権侵害とインターネット上のダウンロードの増大 - これはレコード会社に対して何年か前におこっていたが、さらにより高額になっていた。最初のフェーズの反動はすでに始まっていて - 制作中の映画はほとんどなく、多くの映画は保留になるか中断された。

私自身の新しいプロジェクト - ニック・ケイヴによる非常に好評だった脚本と夢のオールスター・キャストの - は白紙になってしまった。私たちが”The Road”を一緒に始めたファイナンス会社もまた破たんしてしまい、残った1人のスタッフにまで徹底的に削減してしまった。極端な二分化が始まった、とても低予算の映画が作られるか、巨大な3Dのフランチャイズ映画か - ”Barbie: The Movie”や”Monopoly: The Movie”といったブランド映画の誕生 - 次は何だと誰が知ろう、”Coca-Cola: The Movie”なのだろうか?

いみじくも私は、私自身の産業界の終末を眺めながらこの年を終えた。

最後は非常に苦くも辛辣なエピローグになっていますが、着せ替え人形のバービーの実写版の映画だとか、ボードゲームのモノポリーの映画だとか、ほとんど訳のわからない映画の企画が実際にあるんですね。
ディズニーランドのアトラクションの「カリブの海賊」が映画として大ヒットしたからなのかなぁ。

バービー映画やモノポリー映画については、eiga.com のこちらこちらをご覧ください。

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コメント

 長い訳、ありがとうございます。
 映画を初めて見たマッカーシーが席を立った20分のあいだの監督たちの気持ちを想像するだけでも、胃が痛くなりそうです。
 こういういろんな「映画周りの情報」が入ってきて、公開のニュースがなかったら、かなりさびしいものですが、なんとかほんとに日本での公開自体は決まっているみたいですから、「映画周りの情報」を読むのも、楽しみになってきました。

 朝日新聞のGlobe は、今日職場からもらってきました。けっこう目立つ大きさで書いてあって、「読みたくなるような」紹介ですし、これは邦訳の売り上げに貢献しているはず。映画についても一言書いてあってよかった(゚ー゚)

投稿: mizea | 2010.01.12 22:15

年明け早々、大長編の翻訳をありがとうございました。
しっかり保存版にさせていただきます。
今年もいろいろ翻訳していただけるのを期待してま〜す♪

最初はてっきりシャーリーズさんに似ている点が評価されてコディ君が選ばれたのだとばかり思っていましたが、実際には、シャーリーズさんと並んでみたらママ似だったということなんでしょうか。
不思議です。

いろいろなシーンで「突き抜ける瞬間」があったみたいで、こういう、生まれるべくして生まれた作品、というものを一刻も早く自分の目で確かめてみたいです。

でも、できたら少し暖かくなってから公開されますように、と初雪の今日は考えてしまいました(笑)
どうしたらマイナス6度で水に浸かろうなんて思えるのでしょう。。。

投稿: mate_tea | 2010.01.12 22:52

mizeaさん
コーマック・マッカーシーもちょっと意地悪ですよね、何も言わずに20分も席を立ってしまうなんて。
日本公開の日取りが早く発表されますように。

mate_teaさん
この日記によれば、シャーリーズ・セロンよりも、コディ君の方が先にキャスティングされていますからね。
2人の面差しがそっくりだったのは偶然の幸運のようです。
真夏の公開もちょっと違う気はしますが、少しは暖かい方がいいですよね。見ているだけで身に沁みそうです。

投稿: punkt | 2010.01.12 23:17

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