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The Road : ジョン・ヒルコートの日記(1)

イギリスの新聞、Telegraph の土曜日版(1月2日)に、ヒルコート監督の日記という形で、”The Road”制作の裏話が紹介されました。

viggo-worksのこちらに、そのスキャン画像がアップされています。

また、ネット版の同じ記事が1月4日付で Telegraphのサイトのこちらにアップされています。

とても興味深い内容なので、何回かに分けて一部省略しながらご紹介したいと思います。

The Road : ジョン・ヒルコートの日記

コーマック・マッカーシーの終末後の世界の小説「ザ・ロード」の撮影は、アメリカの最も破壊された風景を探し出し、氷点下の温度で撮影し、太陽のない世界を創ることを意味する。監督のジョン・ヒルコートは日記をつけた。

 

”The Road”の私たちの旅の始まり方は酷かった。私の長年の共同制作者でオーストラリア人の美術監督クリス・ケネディーにとってと同じように、これは私にとって最初のアメリカ映画だった。そしてこれは彼にとって始めてのアメリカだった。私たちはビバリー・ヒルズの高層ビルの上の方にある資金調達&制作会社のオフィスで一緒に働いていて、クリスは静かなタバコ休憩のために外に出たのだが、その時、胸の悪くなるようなドスッという音がして彼の前、数メートルのところに人の体が落ちてきた。別のオフィスからの身投げだった。クリスはショック状態で戻ってきて、あの音は永久に付きまといそうだと言った。後で、私たちのプロデューサー、ニック・ウェクスラーは彼の背中を軽くたたいて落ち着いて言った、「ハリウッドにようこそ。」

すべてが始まったのは何年か前、ニックと私がロサンゼルスで打合せをして、私のコーマック・マッカーシーの著作に対する愛について語った時だった。2006年6月の初めに、ニックは、書かれていない地球規模の大災害でほとんど破壊されている世界で父と息子が生き延びようとする、まだ出版されていない「ザ・ロード」の原稿を送ってきた。私は激しく打ち寄せる波とうなり声を上げる風を背に、ブライトンの自分の家の玄関の階段のところで、ロンドンからの列車の中からノンストップで読み続けていたそれを読み終えた。その最後の数ページは私を感情的な津波のように襲った。私は家の中に入ると、自分の幼い息子のルイ(私は彼にこの映画を捧げた)を長くしっかりと抱きしめた。後ほど、私はこの任務に圧倒された:いったいどうやってこの感情の深みを再構築し、あのような世界を創ることができるだろう? どうやったらこのような本に敬意を払えるだろう? だが私の最大の心配は、これを上手くやることができる幼い俳優をどうやってみつけるかということだった。(この本の子供は8歳か9歳。)これは挑戦だが、贈り物でもあった。

さらにその上に、この本は国際的に称賛されたベストセラーになり、ピューリッツァー賞を受賞する。そしてもちろん、コーエン兄弟が別のマッカーシーの本で巨大な成功を収めた「ノーカントリー」があった。期待はまさに盛り上がりに上がった。

 

2006年7月6日

私たちはコーマックを私の前の映画、「プロポジション 血の誓約」を見るために招待した。彼はこれをとても気に入り、彼の本「ブラッド・メリディアン」の影響を認めたかもしれない。私たちにとって幸いなことに、すべてのスタジオはこの出版されていない原稿の暗い題材からはるか逃げ出していた。だから私たちは仕事をはじめた。

 

10月

さまざまな脚本家たちと議論をし、その中には本当のハリウッドの重鎮も何人かいたが、私たちはこの仕事を、オーストラリア/イギリスの作家、才能ある脚本家で、映画への脚色の素晴らしい才能を示してきたジョー・ペンホールに与えた。ジョーは光り輝く詩のような言語に惑わされることなく、すでに本のページにある会話を保持し、物語と登場人物の観点からこの本のエッセンスを抽出することに集中しようとした。

 

2007年6月

脚本の第一稿が到着。毎週、2、3日、ジョーと一緒に物語が展開していくにしたがって全てを議論した。この過程で私はキャスティングについて考え始めた。私は少年を守る方法 - いくつかの題材から彼を保護して、私たちが本当は何をやっているのか気がつかない - があれば知りたいと思った。(私は最近になって、キューブリックの「シャイニング」の素晴らしい幼い俳優が、これがホラー映画だということさえ知らなかったことを発見した。)だが、要求される感情の幅と、その題材に完全に関わることが必須の要素だった。

”The Road”は地球規模の大災害 - それは核戦争かもしれないし、環境の激変かもしれない - の余波の中から始まる。そこで私は異なる人為的あるいは自然の災害や、その両方の複合からの写真の調査を始めた。クリスと私はさまざまな種類の事象の写真ライブラリーを作り上げた。「ザ・ロード」は私にスタインベックの「怒りの葡萄」を思い出させた。ダスト・ボウル出身の大恐慌時代の写真家ドロシア・ラングの、普通の人々が生き続けるために西部に行くという可能性と苦闘する写真を見ていた時、このような種類の世界に完璧に合うであろうという俳優の顔はヴィゴ・モーテンセンだと気が付いた。彼は話すことすらなしで苦闘を示すことができるし、私たちには手加減しない人物が必要だと分かっていた。

彼は映画から映画へ、そしてインタビューからインタビューへと進むのに疲れ果てていたので、回答をもらうのは難しかったが、最終的に私たちは彼を参加させた。後で彼は、極度の疲労を演技の助けとしたものだ。

 

9月

私たちはオンラインのロケーション・リンクを、我々のチームで写真のサンプルを探し出して載せる人たちのために設置した。クリスはオーストラリアで、そして私はイギリスで、常に議論し私たちの注釈付きでリンクをアップデートしたものだった。これが何カ月も続いた。それと同時に、クリスは彼のラップトップから Google Earth で、アメリカのあらゆる場所を走査していた。彼が目を付けたあらゆる黒っぽい点をズームし、彼は例えばペンシルベニア、ネマコリンの使い残された鉱山の大きな灰の山やスラグの山のような現場を発見した。

私たちは灰の山を見に行った。ひどく寒かった。私たちは黒く窓が染められたレンタルのバンに乗っていて、外に出た時、目出し帽をかぶった。突然、何台かの車が武装した警備員を乗せてキキーッと現れた。結局、向かい側に新しい最強の刑務所があることが分かった。私たちのロケーション・マネージャーが彼らを落ち着かせて、私たちは最終的には進むことが認められた。灰の山からまっすぐに刑務所の運動場を見下ろすことができた。彼らは明らかに、私たちが脱獄を計画しようとしていると心配したのだ。

最初からとんでもなく不吉な始まり方をしたこのプロジェクト。shock
刑務所の脱獄を企てているのと間違われたり、いろいろ大変だったんですね。
Google Earth でロケ地を探したというのはちょっとビックリですが、ちなみにこのネマコリンの鉱山の跡らしき画像は、Google Map のこちらでご覧いただけます。

なるほど、あたりと色が全然違うので目立ちますね。

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