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「私は詩人たちに手を貸すことができたことを光栄に思う」

20090811buenosaires_4以前にほとんど写真だけを紹介した、Página/12 のヴィゴとカラス仲間の詩人ファビアン・カサスのインタビュー記事(8月14日付け)ですが、viggo-worksのこちらで、Zooey さん、Sageさん、Gracielaさんの共同作業で英語に訳してくださっています。

これがなかなか面白かったので、つまみ食い的にご紹介します。

タイトルは「私は詩人たちに手を貸すことができたことを光栄に思う」

私的な副題としては「サッカーファンにつける薬なし」です(爆)。

 

 

まずは記事の冒頭、ヴィゴ登場です。

そのクエルボはタバコを吸いながら彼の仲間が到着するのを待っている。その男は彼がその人生のすべてを知っているかのように感じているボエドの近所出身で、タトゥーをその皮膚にまとうのと同じようにサンロレンソのシャツを着ている。ボーっとして気まぐれなパラーニャ通りの午後の時間は過ぎていく。人々は欲望の分厚いクモの巣と各段にいる迷惑な犬を引きずりながら歩いている。このタバコの煙を吐き出している、その青と赤の輪が足元から始まっているクエルボはヴィゴ・モーテンセンだ。ロード・オブ・ザ・リングの魅力的なアラゴルン、デイヴィッド・クローネンバーグが固執する俳優、シクロンの熱狂的サポーター、イースタン・プロミスの演技でオスカーを勝ち取ることができず、彼が計画したようにコダック・シアターのステージ上でサンロレンソの旗を広げることができなかった。

この後、記事はヴィゴの俳優としての最近の経歴を紹介し、今回出版されたアルゼンチンの現代詩のアンソロジーについて紹介します。
ヴィゴが待っていたファビアン・カサスが到着。ハグで挨拶をした後、インタビューがはじまります。

...彼のブエノスアイレス・アクセントは時々、彼内部の言語の時計の針が、60年代終わりのこの国における彼の子供時代で止まってしまったかのようだ。その魔法の袋から、この俳優はシクロンの100周年のために特別に彼自身によってデザインされた別のモチーフのTシャツを引っ張り出し、カサスにプレゼントした。先月の初め、この俳優はこのアンソロジーのプレゼンテーションの詳細を決めるためにこの国にいた。「グスターボ・ロペスが電話をかけてきて『ヴィゴと一緒にいるからこっちに来いよ。』と言ったんだ。」とこの詩人は回想した。ボエド地区出身の二人の学識ある男のように彼らは一晩中サンロレンソについて語った。

以前にこちらの記事で紹介した、イースタン・プロミスのタトゥーの話がもうちょっと詳しく出てきます。

「あの晩、彼は7月9日通り(Ave. 9 de Julio)沿いにある私の家まで一緒に歩いてきたんだ。ガールフレンドと一緒に歩いていて『信じられない、アラゴルンだ!』と言った男のことを覚えていかい?」

「ああ。でも彼はインデペンディエンテのファンだった。」とヴィゴは言って、笑いながらその男に親指を下に向けるしぐさをした。

「ヴィゴがクローネンバーグと一緒に作った映画が両方とも気に入った。」とカサスは言う。「あれは二連祭壇画のような、一卵性双生児のような二つの人格の肖像画のようだ。私は彼に、(イースタン・プロミスの)そこで彼が襲われるトルコの風呂における裸のシーンはどんな風になっているのか教えて欲しいと言った。彼は撮影は2日間だったと言って、私に尋ねるんだ「私がタトゥーにしたカラスを見たかい?」ヴィゴはとっておきの切り札を持っている人の微笑みをちょっと見せた。「カラスに関する伝説がロシアにあって、それを私がタトゥーにするとあの映画にふさわしかったんだ。ロシアに古い詩があって、それはこんな歌なんだ。それが言うには『私はまだ準備ができていない、カラスは待たしておけ。』あるいは『私は死ぬ準備ができていない。』」と、バンビーノ・ベイラによって“Guido Mortensen”と改名された俳優は明らかにした。

撮影用にカラスのタトゥーを入れることができてご満悦で、それで結局、本当にカラスのタトゥーを入れてしまったみたいですね。coldsweats01

- あなたが覚えているサンロレンソに関連した最初のイメージはなんですか?

V.M.: カサスはいつもスタジアムに行っていたが、私が子供の時は写真のカードとラジオだった。なぜならここに住んでいたとき私は8歳だったからね。私は試合には行かなかった。私の最初の記憶はロコ・ドバル、バンビーノ・ベイラ、”ロス・カーラスシアス”(訳注:直訳は汚れ顔)、65年と66年の彼らはタフでプレイが上手かった。そして後に68年、伝説の”ロス・マタドーレス”(訳注:マタドール達)。私は2003年までスタジアムには行っていなくて、その時は我々はリベルに対して2対1で負けた。私はアルゼンチンを69年に11歳で離れて、ケーブルテレビもインターネットも何にもなかった。私はアメリカ北部で、何枚かの写真のカード、小さなTシャツ、旗、その他は何もなかった。1995年に戻ってきて、25年が経っていたが、私は何も手がかりがなかった。ちょうど私が帰ってきた時、サンロレンソは優勝したんだ。

ヴィゴがサンロレンソ・ファンであり続けることはとても難しそうな状況だったようですが、子供時代の記憶がそのまま封印されたような状態になっていて、大人になってまたアルゼンチンを訪れるようになって、一気に火がついたのでしょうか?

サンロレンソの各時代ごとのいろいろな呼び名については、Wikipedia の CAサン・ロレンソのページのこちらが大変に詳しいので参照してください。

このあと、ファビアン・カサスが子供のころ、初めてサンロレンソの試合をスタジアムで見た時の記憶の話に続いて、二人共通の比較的最近の話になります。

昨年の5月、南米のクラブチーム・チャンピオンを決める、コパ・リベルタドーレス(リベルタドーレス杯)の決勝トーナメント1回戦で、リーベル・プレート(アルゼンチン)対 サンロレンソの試合で、この試合そのものは2対2で引き分けたものの、2試合の合計得点差でサンロレンソが準々決勝進出を決めた時の話です。

カサスが号泣を止めることができなかったと言うと、ヴィゴは

「私はそれをロサンゼルスのバーで息子と弟と一緒に見たよ。そこはリーベルのバーだったんだけど気にしなかった。ゴールを大声で叫んで踊りだしたんだ。あれは素晴らしかった、偉大な快挙だったよ。」とこの俳優は回想した。「あるプロデューサーがいくつか脚本を見せて聞いたんだ、『あなたの人生で最もやりたいことは何ですか?』 そうだね、デンマークのパスポートを持っているから、アルゼンチンと対戦してリケルメから3つのゴールを決めたいね。『リケルメって誰です?』って彼が聞くんだよ。」

念のため、リケルメはついこの間までアルゼンチン代表soccer で、ボカ・ジュニアーズの名ミッドフィールダーです。

そしてやっとインタビューは出版や文学に関する話になってきます。

- あなたの書くものについて、どの言語で書き編集するのか要約していただけますか?

V.M.: 私が子供のころに起きたことは深い影響を私に残している。最近はスペイン語で書く方が多いが、英語でも書いている。時にはデンマーク語で書いている。私たちが出版する本はとても良くデザインされている。それは新興の芸術家やほとんど知られていない人たちで、我々は大きな会社ではないので損失を出している。時々、私自身の写真の本を出版して1つ2つ詩を入れるのだが、これらの本が私が映画俳優だから売れるということが良く分っているからだ。これが金銭の損失を回復する助けになるだけでなく、人々が Perceval を思い出して私たちのウェッブページをチェックし、私たちが何を出版しているかを見る助けになっている。今回、スペイン語の本に関わって、さらに英語への翻訳をしているのでこれはバイリンガルになるだろう。私はじっくりとやっている。これが出版されるのが夏になるのか冬になるのか分らないが、これは冬の歌と言うんだ。いつもどこかは冬だしね(笑)。私は以前は英語で書く方が速かった。スペイン語ではよりゆっくりになる。60年代終わりのスラングを知っているところで(アルゼンチンを)離れたので、95年に戻ってきたときに、使われている別の言葉に気がついたんだ。話すのは英語やデンマーク語がとてもたくさんで、時々変わった方法で書く。非常に個人的なもの、とても自分自身のものがあって、他のものは後でここでは毎日言われていることだと気づくまで、自分にはユニークなものに見える。私は詩を削るのが好きで、できる限り短くでも同時に多くのことが含まれているようになるまで取り組むんだ。

F.C.: ある日、私は母のお墓に花を捧げてきて、その日、帰ってから極度に感情的になって500ページの長さの詩を書いた。でも後になってずっと縮小した。詩は感情の高まりから生まれるが、後で理性的に手を加える必要がある。 EL SALMÓN(訳注:ファビアン・カサスの詩集)の中の”Henry V arenga a sus soldados”(ヘンリー5世の兵士への演説)という詩があるんだが、バンビーノ・ベイラの演説から始まっているんだ。でもこれは暗号で書かれているのでヴィゴのようなサンロレンソ主義者だけがそれに気がつくんだ。私が書くときは別の声を探して自分自身の声は消そうとするんだよ。

ファビアン・カサス氏も、たいそう情熱的な方のようですね。
記事はさらに、ヴィゴがいかにいろいろなジャンルの本を手当たりしだい読んでいるか、ということが紹介されます。

「このアンソロジーを読んで出版することは私にとって教育だった、私は知らなかったからね。」とヴィゴは強調した。「絶えず読むことは好きだし、ファビアンだけでなく他のすべての詩人たちから学んだよ。この本を出版して、詩人たちに手を貸すことができたことはとても光栄だと思っている。私がこの本をデザインしたから素敵だろう? この表紙は2003年に撮った Boedo 2 という写真の1つで、この頃多くの写真を夜に撮ったんだ。」

Perceval Press のウェブサイト(www.percevalpress.com) に入ると、修道女フアナ・イネス・デ・ラ・クルス(訳注:17世紀のメキシコの修道女で詩人)の言葉「私はもっと知るために研究するのではなく、もっと無視しないために研究する。」を読むだろう。これはヴィゴが芸術家として、出版人として献身的に奉じるモットーなのだ。

Perceval Press で出版されている多国籍な本が簡単に紹介されて、ヴィゴの出版に対する信条が語られます。

「決まったコースではなく、芸術家は彼自身のやり方で作らなければならない。次の本が何になるか私にはわからないが、1つ1つの本は作者や芸術家それぞれの好みに従ってデザインされる必要がある。私たちは芸術家や編集者が満足するまで本を出版しない。Perceval では、良いアプローチを見つけようとしているんだ。」とヴィゴは説明した。

とここまでは何とか本の話だったのですが、やっぱりどうしても話はサンロレンソ絡みになってきます。

彼はあまり出版に興味がないとはいえ、カサスは彼の発行人ととても上手くいっていると言った。「今や私の発行人はクエルボなんだ。これは子供の夢だね! 私のいつもの編集者のホセ・ルイス・マンヒエリは私にとっては父親のようなものだけど、彼はウラカン・ファン(訳注:ウラカンはサンロレンソの最大のライバル)なんだ。私はボエド出身の子供と話しているような感じがするんだ。めったにないことだよ。

V.M.: 君と一緒だととっても気持ちがいいよ。サンロレンソについては客観的になれないことは自覚しているけれど、アルゼンチンだけでなく世界中のチームの中で、文学的にも芸術的にも最もほとばしるものがあるチームなんだ。

F.C.: ヘーゲル哲学の合理的な視点からすると、サッカー・ファンになるということは理にかなわないことなんだ。私の妻は私が泣いているのを見たり、私が誰とも話したがらない時、私のことを大バカ者だと思っている。彼女が言うんだ、「哲学を学び、本やエッセイを出版していて、どうやったらこんなことができるの?」

V.M.: 我々は大バカ者の集団だけど、サンロレンソ・ファンは最も死を恐れない連中なんだって彼女に言う必要があるね。だから我々は不死身になるんだよ。

こんなところでヘーゲルが出てくるとは...coldsweats01
ファビアン・カサス氏、ヴィゴととっても話が合いそうです。

ヴィゴは彼の魔法の袋の中の旗を探したが見つけることができなかった。「ホテルに置いてきてしまった。」とその俳優はブツブツ言った。相棒たちはカメラマンがサンロレンソのジャージ姿の彼らの写真を撮っているあいだ、試合の写真や、選手、ペナルティ、ゴールの失敗をやり取りし続けていた。

最後に、カサス氏がヴィゴに、ヴィゴ自身の詩”Chaco”を暗唱するように頼み、このインタビュー記事は”Chaco” で締めくくられています。( ”Chaco” についてはこちらの記事をご覧ください。)

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コメント

え~、記事のタイトルはpunktさんがつけた副題の方がふさわしい気がしますhappy01
ヴィゴとカサス氏、もうすっかり意気投合しちゃってますね。
サッカーには疎い私はカサス夫人の方に共感しますけどcoldsweats01
サンロレンソの試合を見たとしても、私にはチームのどこがどう文学的なのか
ぜ~ったい理解できないでしょう。

PPのサイトのトップに書かれている言葉はそういう意味だったんですね。
ずっと気になっていたんですが、初めてわかりました。
面白い記事のご紹介、ありがとうございました。

投稿: Aralis | 2009.08.24 00:22

 とっても長文の翻訳ありがとうございます。しかしあちこち話が飛んで、でも微動だすることなくサン・ロレンソファンだし。 一通り読み終わったところでの感想は「まーったく!」というかんじです。

>ヴィゴがサンロレンソ・ファンであり続けることはとても難しそうな状況だったようですが、子供時代の記憶がそのまま封印されたような状態になっていて、大人になってまたアルゼンチンを訪れるようになって、一気に火がついたのでしょうか?

 そんな気がします。 子供のころほんとに熱心なファンだったのでしょうね、そしてそのまま冷凍された感じで、大人になってお金と時間に余裕ができたころに解凍されて再燃。 ずーっとファンとしての活動をしていて今の年齢になっていたら、もーちょっといろいろ押さえ気味だったかも。

投稿: mizea | 2009.08.24 00:38

Aralisさん
きっとカサス氏がヴィゴを家に連れて帰ってきたとき、最初は奥様もハンサムなハリウッドスターが家に来たので「キャー!」だったと思いますが、一晩中サッカーの話ばかりしているのを見て、「なんだ、うちの亭主と一緒じゃないか。」といささか幻滅したんじゃないかと...coldsweats01
サッカーのプレーが芸術的というのは聞きますけど、文学的なんて、どう理解しろというのやら...bearing

mizeaさん
もうねぇ、苦笑するしかないですよね。
ヴィゴも気の合う、非常に情熱的な仲間ができましたから、またアルゼンチン行きが増えそうですね。

投稿: punkt | 2009.08.25 00:26

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