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Selecciones Magazine のヴィゴのインタビュー記事

Rdseleccionesアルゼンチンの Selecciones Magazine のサイトに、ヴィゴのインタビュー記事が掲載されています。
(写真もサイトには大きなものがあります。)

viggo-works のこちらで、Gracielaさんが英語に訳してくださっています。

The Road や Good について、あるいは息子自慢bleah については繰り返しになりますが、アルゼンチンやスペイン語についての話はなかなか興味深いものがあるので、全文をご紹介します。

「三つ子の魂百まで」というのは、ヴィゴにもあてはまるようですね。
記事の内容から察するに、このインタビューは昨年の12月ごろに行われたものと思われます。

 

脚光を浴びるヴィゴ・モーテンセン

ブエノスアイレスの夏、アメリカン航空のカウンターのところには多くの乗客がいた。突然、みんながファーストクラスのエリアの方を見た。そこには、ヴィゴ・モーテンセンが、ロード・オブ・ザ・リングのアラゴルンが、オーシャン・オブ・ファイヤーの騎手が、ヒストリー・オブ・バイオレンスの怪しい過去を持つ男が、イースタン・プロミスのロシア人の二重スパイがいた。ほんの少しすると、ヴィゴはどうにか彼の周りの人々を落ち着いた気持ちにさせた。完璧なアルゼンチン訛りで、彼は航空会社の従業員の一人に、ボカと彼のお気に入りのサッカーチームのサンロレンソ・デ・アルマグロのサッカーの試合について、スペイン語で冗談を言った。彼はVIPルームにいた中の何人かと一緒に写真を撮ることを喜んで承諾し、ハリウッドスターをその辺りでしょっちゅう見ることのない人々に応対するのにユーモアのセンスを持ち続けていた。それはただ、サンロレンソのサッカーの試合を見るためのブエノスアイレスまでの小旅行だった。2、3日前、モーテンセンは Selecciones とニューヨークでしばらくの時間を一緒に過ごし、この俳優は彼の新作映画 Good について話をした。ヴィンセンテ・アモリンの映画はナチ政権に賛同していないにもかかわらず、最後に強制収容所を訪問することになるまで気持ちがぐらつくある大学教授の物語を語る。彼は、コーマック・マッカーシーの小説に基づき、破滅後の世界の中のある父親とその息子の関係を描く、間もなく公開される映画 The Road についても語った。彼はピーター・ジャクソンの映画の役を彼が受けることを確信して、彼のキャリアの方向を変えた映画、ロード・オブ・ザ・リングの1年間の撮影のためニュージーランドに移ることを一晩で決心させたのは息子のヘンリーだったと説明した。彼はまたアルゼンチンとスペイン語との特別の関係についても話をした。

最近のあなたの役の多くが極端な状況に直面する男たちですね。このようなタイプの役を探しているのですか、それともただ偶然ですか?

これは偶然だと思う。私の考えでは、良いドラマの前提は何かしら並々ならぬ事が起きることなんだ。それは人生や幸福を脅かすものになる可能性がある。あるいは、例えば Good では、登場人物は彼がおこなった判断はすべて間違っていて、彼が選んだのは間違った進路で、彼が適切だと思ったことはすべてそうではなかったことに気がついた時だ。

Good ではあなたの役は周囲の状況に身をまかせているのに対して、The Road では主人公は起きていることに対して懸命に反抗しようとしますね。

Good の私の役は、ある範囲で彼が必要に迫られることに反発している:プルーストを禁止しなければならないこと、入党しなければならないこと、軍事パレードに参加しなければならないこと...これらの義務はある種の精神的な葛藤を引き起こすが、とにかく彼は、「私は本当はこれには賛成ではないのだが、よろしい、今回だけだ。」というようなことを言いながらそれをやるんだ。

彼がどのように次第にナチの組織に捕らわれていくのかは興味深いですね...

最初、彼は「小論を1つ書くことと、記章をつけることが彼らが私に求めるすべてなのだろうか? よし、それならできる。」と疑問に思っているように見える。彼はこれが間違っていることを知っているが、それは誰もがやるような単に小さなことだ。社会的な圧力は強大で、その上彼はこう考える「母は病気だ。子供たちとまったく稼がない妻の面倒も見なければならない。今晩、夕食の後、成績をつける山ほどの論文もある。たくさんのプレッシャーがあるし、余分なお金を少し稼いでも害はないだろう?」

ロード・オブ・ザ・リングの後、あなたは新しいアクションヒーローになることもできましたが、今のところ慎重に役を選んでいるようですね。

それは、映画製作以外にこの世で別の興味があるからなんだ。例えば、世界中に住んでいる私の家族。配慮が必要な出版社も持っているし、昨年はいくつか写真展の企画もあった。書くことも好きだ。私はいろいろなことをして時が経つにつれて、お金に取り付かれず赤字でなければ選択することにより自由があるということを学んだ。

もう少しで The Road を断るところだったというのは本当ですか?

そうだよ。私はとても疲れていたし、自分のベストを発揮することができると感じられない限り役を受けたくなかった。でもあの時、この物語が本当に素晴らしく、その主題が誰もが共感できるものだったので、考えを変えたんだ。それに私が疲れ果てていたのがこの役にぴったり合っていた。これはある意味、極度の疲労で死につつある男についてで、だからこの効果はとても面白かった。

これはとても悲しい物語ですね...

そうだね。でも最後には、これは思いやりと人生の教えの美しい物語なんだ。どんな父と息子の関係にもよく起こるように、息子が先生になる。ある日、あなたの息子がやってきて告げる:「あなたはこれこれのことや、これをしなさいとかこれは良くないとか言ったのに、その一方で他の人にするように求めたことを自分ではやっていない。」 このとき、彼はあなたに教えているんだ...

あなたの息子さんとの関係もちょっとこれに似ていると言えますか?

そうだよ。ヘンリーはとても知的で思いやりのある子だ。彼は私にとって素晴らしい手本なんだ。私が知っているあらゆる人以上に、彼は最も辛抱強くて優しい。その上彼は詩や短い物語を書く。彼は読めて書けて曲を作れる...実際のところ、それが彼がやっていることなんだ。彼はいくつか演劇や演技も試してみて上手にやった。望めば彼はそれをできるだろうが、別のことに興味があると私は思っている。彼は科学が好きで、考古学を専攻している。彼はとても成熟していて才能があるんだ。

あなたはアメリカで生まれて、アメリカ人、デンマーク人、ノルウェー人(英訳に?がついています)の血筋を持っていますね。べネズエラとアルゼンチンでも育っていますが、どういうわけかあなたはよりアルゼンチンに通じるものがあるように見えますが...

私はたくさんのところを故郷だと感じるし、時が経つにつれて、人生ではどこにいるかということよりも、自分がだれなのか、自分が何をしてどう感じるのかということの方が重要だということを学んだ。私がかつて住んでいたところに特別のつながりを感じるというのは本当だ、特に子供の頃にいたアルゼンチンや私の家族の非常に大きな部分が住んでいるデンマークはね。でも、私が訪れることをとても楽しんだ別の国々に対しても、深く感傷的で郷愁に満ちたつながりを感じている。

たとえば...

アイスランド、ニュージーランド、スペイン、ロシアには戻りたいね...多くの、実にたくさんの場所に大切な思い出があるんだ。でも最近は、詩や散文の断片という形になるかもしれない、何かとても個人的なことを書こうと思うと、以前はたいていそうだったように英語では書いていないことに気がついたんだ。今は90パーセントの時間はスペイン語で書いている。

なぜだか解りますか?

最近、私が持っていた関係の中で私の家族の中の状況があって、それが今までまったく取り組んだことがなかったある種の感情に気づかせることになった。そして私は本能的に、それをスペイン語の方がより良く表現できると感じたんだ。この変化は、3歳から10歳か11歳までの人生における段階がとても重要で、決して忘れることがないという事実に関係があると確信している。

スペイン語を話すすべての国について同じように感じていますか?

アルゼンチンは少し違うね。私はあそこではとても居心地良く感じるし、彼らも私を彼らの中の一人として扱う。今のところは私が行くたびにおかしなことが起きるんだ。特にブエノスアイレスでは、たとえ外見が私のような人々はたくさんいるという事実にもかかわらず、いつも私を見てこう言う人たちがいるんだ:「あんたはここの出身じゃない。我々のように(話している言葉は)聞こえるが我々の中の一人じゃない。そんなにもあんたがたくさん話しているサッカーチームについて、本当にどれだけ知っているんだい?」でも、その後彼らが私と知り合いになると、実際私は彼らのようだということに気がつくんだ。

なぜあなたはアルゼンチンと特別なつながりを保ち続けていると感じるのですか?

私は、両親が離婚した直後の1970年にアルゼンチンを離れて、25年後の1995年まで戻ることはなかった。けれども、私が戻ったとき、私の語彙は少々時代遅れだったという事実にもかかわらず、ブエノスアイレス訛りをほとんど完全に保っていた。その上、私はいつもブエノスアイレスやその地域にたどり着こうとしていた。

あなたが演技する時に別の人物になるという能力は、あなたが11歳でニューヨークに引越ししたときにも他の誰かにならなければならなかったという事実に何か関係があるのでしょうか?

誰か他の人になることは適応する方法の1つなんだ。私がアメリカに戻ったとき、私はアメリカのパスポートを持っていてアメリカ人のいとこがいて、その上、その国を訪れたのは初めてではなかった。とても小さかった時に私たちはしばしば旅行をして、夏の間、何週間かそこに滞在もした。けれども、アメリカに引越ししたとき、アルゼンチンでいつもスペイン語で観ていたTV番組が同じだったのに英語なのを見て、ショックを受けたのを覚えている。バットマンやすべてのマンガはスペイン語だと思っていたんだ...

50歳になってどのように感じていますか?

私の誕生日のために、そしてその年の終わりに、また1つの年が過ぎていくということをつくづくと考えてみるために一人の時間を持とうとした。50歳になることは40歳や30歳になること以上に気がかりだということはない。ただ別の数字というだけだ。年をとったとかそのようなことは感じていない。それは気にならないし、それに対して私は何もできない。俳優として、芸術家として、それは一般的に役に立つと私は思っている。

どのように?

演技を通じて物語を語るとき、もしも良い仕事をすれば、あなたのすることは別の人の目から世界を見ることになって、しょっちゅう完全に自分とは違った視点からとなって、ある場合は共感を持つことすらできなかったり同意もできない。彼らを自分自身のように感じ、彼らを理解せざるを得ない。これは子供が遊ぶときにとても自然にやっていることだ。「自分はカウボーイだ、私はお姫様、僕は偉大なサッカー選手になるんだ。」彼らの夢なんだ、消防士、警察官、泥棒...彼らはそれについて考えることすらしない、それができることを知っているんだ。私たちは大人になると自分自身の型にはまった人格によってその能力を失う。狂人と俳優だけがそれをやり続けるんだ。これはとても健康的な訓練だよ。これはあなたの若さと心の広さを保ち続けるんだ。

まだできなくて残念に思っていることは何かありますか?

ああ、たくさんのことがね。でも遅すぎるということは決してない。私は若い頃に音楽を学んでいたら良かったのにと思うが、私はたくさんのことをしたし、私の旅や私がしてきた経験の中で知るようになった人々や場所についてはとても幸運だった。私が愛した人々や私を愛してくれた人々。文句を言うことはできないよ。

家族の関係の状況で、個人的な思いをスペイン語でつづることが多くなったとありますが、ヘンリーが独立したことや、昨年は義理のお父様やお母様が相次いで亡くなったことを指しているのでしょうか?

以前からスペイン語のインタビューの方がヴィゴの真の思いが出ているものが多いような気がしていましたが、やはりヴィゴの第一言語はスペイン語なのかもしれませんね。
英語ではどこか遠慮があるような...

とはいえ、あれだけサンロレンソの広報大使として活躍していても、外見が思いっきり北欧系なので、アルゼンチンではまだ異邦人として見られることが多いとは...coldsweats01



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コメント

 翻訳ありがとうございます。
>お金に取り付かれず赤字でなければ選択することにより自由があるということを学んだ。

 これは、お金が多くあれば、さまざまなことをできる可能性が広がるというような意味にとってよろしいですか?

 40過ぎでの成功、49でのオスカーノミネートをへて、やっと今いろんなしてみたいことができるようになった人だよねーと思っていて、下品な意味でなく、多くのお金を手にすることもできてよかったよね、とか、なんとなく思っていたのです。
 やりたいことも多い人ですから。 アルゼンチンにサッカーの試合を見に行ったりなんて、余分にお金がないとできないし。←そこか! いや、それ以外でも、もちろん。 それに政治的な発言しても、以前より多くの人が耳を傾けてくれるし。


>ノルウェー人(英訳に?がついています)の血筋
 以前の記事で、お母様がノルウェー系というのがあったと思います。 でも、それが正確かはまったくわかりません。 ご両親の出会いがたしかノルウェーですよね。

>スペイン語のインタビューの方がヴィゴの真の思いが出ているものが多いような気がしていましたが
 動画でも、なんとなくのびのびとした表情に感じられたことが多かったです。

投稿: mizea | 2009.03.22 19:24

punktさん

いいインタビューですね、翻訳ありがとうございます!
「三つ子の魂百まで」確かに~。
3歳から11歳までって、人生の基礎を作る時期ですものね。
そうして、デンマーク系アルゼンチン人が出来上がった訳ですか。

>外見が思いっきり北欧系なので、アルゼンチンではまだ異邦人として見られることが多いとは...

確か、「Linger」でも(アメリカにいても)外国人に見られるって書いてませんでしたっけ?←(LETTER TO BRIGIT)
この複雑さは俳優としてはプラスだと思うので、やりたい事が
たくさんあっても、せめて年に1本は映画に出て欲しいです…

投稿: spring | 2009.03.22 22:32

mizeaさん
>これは、お金が多くあれば、さまざまなことをできる可能性が広がるというような意味にとってよろしいですか?

赤字だとまず稼ぐことが第一で仕事を選ぶことになるし、お金に取り付かれている(いわゆる金の亡者ですね)と、大金を払ってくれることが条件で仕事を選ぶことになる、ということだと思います。
お金の心配をしなくて良い程度に稼げればよいと思っていれば、自由に仕事を選べるし、好きなこともできるということなのでしょう。

ヴィゴの母方のお祖父様はカナダ出身でしたよね。
ご両親が出合ったのはノルウェーのオスロだと記憶してます。

springさん
クローネンバーグ監督にも HoVのときにアメリカ人じゃないって冗談のたねにされてましたね。
次の映画のオファーはきっとたくさん来ているんだろうと思いますから、良い作品に恵まれるよう祈りたいと思います。

投稿: punkt | 2009.03.23 01:03

 説明ありがとうございます(゚ー゚)

投稿: mizea | 2009.03.23 19:38

どういたしまして。happy01

投稿: punkt | 2009.03.23 23:06

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