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Moving Pictures のインタビュー記事より

Moving_picturesviggo-works のこちらに、Moving Pictures  2008-2009冬号の記事をアップしてくださっています。

内容はそれほど目新しいことがあるわけではありませんが、インタビュアーは Perceval Press のトップページにどんなメッセージが上がっているかだとか、ヴィゴが興味をもっているようなことを良く解って質問している、なかなか良いインタビューです。

非常に長いので、ちょっと面白かったところだけ、ごく一部をかいつまんでご紹介します。


 

やはり Good の公開を控えた時期のインタビューなので、Goodに関する話が多いのですが、その一部から

モーテンセン: 私はこのタイトルが気に入っている。これは理にかなっている。これは観客にそれ自身について少し考えさせるんだ。本当に明確にしたいのなら、このタイトルは「Good?」とかクオーテーションマークつきの”Good”になっていただろう。この映画は見る人をあまりある方向に操縦したりしないんだ。ある人生を見せて、ある人生の一部を見せて、議論の余地をたくさん残していると私は思う。後で語り合うことがあるこういうのが私は好きなんだ。

人々の予測は覆されて、最後には彼らは「なるほど、私はある程度この男にかかわりがあったが今はまったく関係がない。それに収容所でもっとメロドラマ的な何かを期待していたのに納得がいかない。」といったようなことを言っている。これには一挙には起きない恐怖に対する静かな意見の相違があるのだと思う。それはとても普通で静かな方法で日々起きているのだ。それはいつもナチスのホロコーストに関連した映画で見る、通例の劇的で英雄的な表現、悲劇的な表現よりも心をかき乱す。

ここでは観客は、ただ裁いたり「あぁ、これは私とは違うな。」と言うための距離をとることができない。あいにく、それに対処したいかしたくないかにかかわらず、自分に似ているものがたくさんある。

良いドラマを生み出すのはこのような瞬間や段階的な理解で、時には間違った道にいる場合もあると私は思う。自分が考えたことやったことがすべて正しいとか正当化するのは完全に間違っている。これは「そしてそれから?」ということだ。それが最初からであろうとなかろうと、映画の中ほどであれ最後であれ、自分が関心を持つ限りそれが良いドラマの理由になる。これがこの映画の最後で、それはある種の崩壊で、この人物は突然それを感じ始めて立っていて、スクリーンが暗くなって、あなたが「ああ、何てこった。」という風になる理由だ。

Moving Pictures: あの制服を着ることはあなたに何か影響を及ぼしましたか? ただの制服以上でしたか?

モーテンセン: 結局そうだったね。ある意味、私は予想していなかったんだが。私たちがフィッティングをしていたとき、私は他のものもすべて試していたので、それはいわば、ただそっと私に近づいてきたのだった。そしてそのときそれを着てみて私は言った。「ああ、このブーツは - これは合ってると思う。これは大丈夫だ。」次はパンツ。これはこんな感じ。「私にはわからないな。これで合ってると思うのかな?」「ええ、合っているように見えますよ。」「ジャケットはどうだろう? 肩のあたりが変な感じなんだけれど。」「いいえ、良さそうにみえますよ。腕はあがりますか? そう、素敵ですよ。」「本当に? 変な感じなんでね。帽子は小さすぎるみたいに感じるな。」「いいえ、そんなことはありませんよ。」

私は気難しい人間じゃないんだ、本当に。私はこれがうまくいくようにしたかった。みんなの目には完璧に見えたのだろうが、私が身につけた衣装の一つ一つの何かがまるで - 正しく合っていないというか...それが一般にあるシーンであれ文章であれ、なにか上手くいかないものがある場合は、時には何か書き直すとか、あるシーンのやり方を変えるとかする必要があるけれど、上手くいかないものと闘う代わりに少なくとも一度は仲良くなろうとやってみる価値があるということを私は長年にわたって学んできた。だから私は「OK、これを良くできるのは何だろう?」と思った。

なるほど、おそらくこの制服を着ていると落ち着かなく感じるので良いのだろう。ただそれを信頼しよう。彼が「水晶の夜」で走り回っていたとき、あるいは最後でさえ、その中を歩き回りながら、彼は次第にますますこの制服と自分が一緒にはなれないことに気が付いたと思った。これはどことなく奇妙なことのように思える。それはかすかなことだが、私がどのように感じたかということだ。私はこの役が構築した人格が消え失せるか崩壊させるままにし始めた。これは興味深かった。この感覚を信頼すれば、最も助けになることがある。

以前に別のインタビューでも、ナチスの制服を着るのは変な感じがして気分が悪くなったと言っていましたね。

この後、The Road の監督のジョン・ヒルコートがオーストラリア人だという話から、「刑事ジョン・ブック/目撃者」のピーター・ワイアーの話になって、ヴィゴはピーター・ワイアーのことを大好きだと言っています。
ピーター・ワイアーはとても穏やかでチームプレーを重視する監督で、キャストでもクルーでも、だれの意見も尊重してくれたので、ほとんど始めての映画の仕事だったヴィゴは、映画監督とはそういうものだと思ったのだそうですが、実際はそういう監督は非常にまれだと言って、クローネンバーグ監督の名前を出しています。

ちゃんとヴィゴの好きなサンロレンソの話題も

MP: あなたはアルゼンチンに住んでいた時にサンロレンソの試合に行ったのですか?

モーテンセン: いや。ラジオで聞いていたよ。私はちょっとそれについては狂信的だった。その当時、私たちは非常に良いチームというわけではなかったので、一般的ではなかったんだ。私たちは興味をひいたけれど、学校のほとんどの子供たちはボカ・ジュニアかリバー・プレートか他のチームで、私が離れる前の年に、突然、私たちはすべての試合に勝ったんだ。これまでに不敗のシーズンはたった1回だけだったから、大事件だった。突然その翌日、学校である子が「僕もサンロレンソが好きだ。」と言った。だから私は言ったんだ「ウソつけ。君はボカ・ジュニアだろ。何言ってるんだい。」

子供の頃に完全優勝なんていうのを経験してしまったとは...それは熱狂的なファンになりますよね。

ドイツやドイツ語に対して偏見を持っていたことに気がついたという話が出て

MP: あなたはその言語自身が、もしもその意味や歴史を持っていなかったとしても、ただその音がそう聞こえると思いますか?

モーテンセン: 粗野な音だと? いや、なぜならちょうどオーストラリアと確かにイギリスとデンマークのように、それらのドイツ語の訛りは違うんだ。あるものはより柔らかく、あるものはよりざらざらし、あるものはよりゆっくりしていて、ちがった音感を持っている。デンマーク語はある人々にとって - スウェーデン人やノルウェー人にとって - 彼らはちょっとその音がひどいものだと考えるかもしれない。口一杯に食べ物を入れた酔っ払いみたいだとね。とてもたくさんの音を飲み込んだのど声で変わっているんだ。実際は、たまには本当に素敵に聞こえることができるんだけれどね。

MP: たぶん、良いチョコレートを作っているどんな国に対しても、あなたはある種の埋め合わせの要素を見つけようとしているんじゃないかと私は思っているんですが。

モーテンセン: まったくその通り。疑いないね。(笑) でも私は、どこにいるかよりもどのようにしているかの方が、どうやって言うかよりもなにを言うかの方が重要だという考えを強く信奉している人なんだ。

え~、やはりヴィゴの英語がもごもごするのはデンマーク語の影響なんでしょうか?happy01

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コメント

なるほど。それでもごもご聞こえると(笑)

聞く人が聞けば、とてもたくさんの音が含まれていて、絶妙な発声に聞こえるんでしょうね〜。

後先になりましたが、punktさん、興味深いインタビューの訳をありがとうございました♪
「グッド」の目指すところがよくわかりました。
びごさんもスクリーンの中でどこか落ち着かず、わたしたちも客席でもぞもぞと落ち着かない気分を味わうことになるわけですね。←そうなることを期待して。

投稿: mate_tea | 2009.02.03 22:41

mate_teaさん
寒い地方の言葉なので、あまり口を開けない発音する言語だというのはわかるのですが、同じ北欧のほかの国にまで口の中に飲み込んだような音だと言われるとは...相当もごもごしてるんですね。

投稿: punkt | 2009.02.03 23:31

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