« 夜のお散歩 | トップページ | デンマークの展覧会に行かれる方へのアドバイス »

「イースタン・プロミス」 キリルとニコライの関係

viggo-worksで、Kirill Leonovさんが紹介してくださった、クローネンバーグ監督とヴィゴのインタビュー記事をご紹介します。

GREEN CINE.com に2007年12月22日に掲載されたインタビュー記事で、掲載された頃に読んだような気がするのですが、思い切りネタバレなので、ご紹介することができませんでした。

ヴィゴ自身が、キリルとニコライの関係について述べているところもあってなかなか興味深いので、全文をご紹介しますが、完全なネタバレですので、映画をご覧になってから読むことをお薦めします。

 
 

デイヴィッド・クローネンバーグ、ヴィゴ・モーテンセンと殺しのきつい仕事

 

イースタン・プロミスにおける、ニコライのメフィストフェレス(訳注:悪魔)の契約は、きわめて厄介で不安に駆られるものでありながらも、立派で優雅で整然としています。彼のしたことが暴力的であるにもかかわらず、私は彼を犯罪者としては考えず、その点で矛盾した感じを持っています。あなたは、私たちが不本意ながらも感情移入できるような、彼の道徳的なジレンマを作ることに成功していますね。彼は彼の秘密によっていくらか救われていますが。

クローネンバーグ: 彼は(セミオンの)息子の運転手として犯罪の中の役割を果たし、犯罪の目撃者にならなければならない。あなたは彼が(死体の)指を切り落とすところを見るが、なぜならそれは彼がやった重要なことだからだ。彼は彼のボスで指揮官であるキリル(ヴァンサン・カッセル)を助けている。だから、彼は犯罪的な行為を行う。この犯罪者一家が逮捕されたら、少なくとも、明らかに彼が報告しなかった犯罪に立ち会ったということで、間違いなく彼は逮捕されるだろう。彼自身、いくつかの犯罪を犯さなくてはならなかっただろうから。

モーテンセン: 溶け込むためにね。私の役だけでなくすべての役について、ナオミ(・ワッツ)の役やアーミン・ミューラー・スタールの役やヴァンサンの役について、広い意味であなたが言うことができることは、ヒストリー・オブ・バイオレンスやほとんどの(デイヴィッドの)映画でのように、実際の生活に似ている。映画をデイヴィッドのように思慮深く理知的に作れば、そしてほとんどの監督はそうできないのだが、人々は決して最初に見える通りではなく、本当に彼らを全て知ることは決してない。イースタン・プロミスの最後で、私の役や他の役に、他に何があるのだろうと思うだろうし、何が起こるのだろうかと思うだろう。未来は込み入っているだろう。この哀れな人々には何が起こるのだろうか?

 

ニコライの最後のイメージは得体が知れなくて心がかき乱されます。あなたはニコライが星のタトゥーを受けたことは名誉だと言い、それを求めて努力するような重要なことだと言いますが、それにもかかわらず、同じように反発とぞっとする思いを感じます。彼がユーリ(ドナルド・サンプター)にそれを見せたとき、ユーリは顔をしかめてたじろぎますね。

クローネンバーグ: 彼は一線を越えたんだ。ある意味、戻ることはできない。

モーテンセン: ユーリの口に出さない言葉は「わかった。私たちはできる限りお前を利用しよう。だが、完全にお前自身で対処しなければならない点があるかもしれないし、お互いに完全にフェンスの反対側に立つときが来るかもしれない。そして私はお前を保証することはできないし、お前について何も知るつもりはない。その必要があれば、私はお前を逮捕するだろう。」

 

私がこの映画で好きなセリフはニコライが言った(訳注:ニコライではなくてセミオンのセリフですね。) 「王子と遊んで、王と仕事をする。」です。これはシェークスピア風ですね。

クローネンバーグ: そうだね。

 

キリルとニコライの間の力関係についてお聞きします。あなたは以前に、もしもあなたがホモセクシュアルだったら、この上下関係の中では前に進むチャンスはないだろうと言っていました。そして、今のところともかくも、ニコライがキリルの父親の役割をするポーズをとるという緊張があって、彼はより人当たりの良い家父長制で、古い家父長制を打ち倒しています。どうやってそのエネルギーは生まれたのですか?

モーテンセン: それはあるレベルで実際的なんだ。

クローネンバーグ: そうだね。キリルがニコライに恋をしているのは明らかだ。彼の信頼性を失ってしまうので、彼自身、本当に自分ががゲイだと認めることはできない。ボスの息子として、これは組織全体の妨げになるかもしれない。ニコライはこれを知って利用した。彼は彼の目的のためにキリルを操ったんだ。

でも、愛情はない。

モーテンセン: そう、そこにはある種の優しさがあって、それは人が決して全部を知ることはない何かを語っている。彼らが実際のところどのぐらい親密なのかは、あなたは本当のところわからないだろう。

クローネンバーグ: まったくその通りだね。キリルは意気地が無く、無責任で、気違いじみた子供で、ニコライは信頼できる兄のようだ。そして彼らの間には、ある種の奇妙な愛情がある。それは操るのがたくみなだけなのだろうか? あなたは本当のところはわからない。それが本心からなのか知ることは難しい。ニコライは本当でないことのふりをする能力があるだろう。だがあなたにはわからない。そしてそれはどちらもあり得る。同時に操るためでもあるし、本心からでもあるかもしれない。なぜなら、もちろん、二人の間の関係も起こるからだ。セミオンはもちろん厳格な守旧派、古いマフィアを代表していて、あなたの言うように、ものごとを家長として理解している。

モーテンセン: これが、ニコライが最終的に「これは人々が言っていることです。」と言ったときに、ひどく打ちのめされた理由なんだ。彼はおそらく(キリルの真実について)知っていたのだろう。だが、ニコライから聞いたことによって、彼が最も恐れていたことを確認してしまった。彼は明らかにあまり幸福ではない。

クローネンバーグ: そして言うまでもなく、真実は、もしもニコライがセミオンから支配権を受け継ぐか地位を奪い取ったなら、キリルに(本当の)王子としての立場があるかどうかわからない。彼は完全にニコライに地位を奪われてしまうのか? それとも、ニコライはまだ王座の後ろの男でいなければならないのか?

モーテンセン: 自分が掌握しているのだとキリルに感じさせる。

クローネンバーグ: 彼がボスであるかのようにね。

 

それが、私がこれをどう読み取ったかということです。また、シェークスピアに関連付けますが、ニコライはオセロの陰のイアーゴのようですね。

クローネンバーグ: しかしそれでも、ニコライはこれらのことや人々について、はるかに計算できて抑制が効いているので、あらゆる方法で彼を感情的に操る。これがニコライを、彼の人生でとても興味深く奇妙な立場に置くのだ。

 

明らかに、この映画についてみんなが話すシーンはバスハウスの一連のシーンですよね。このように勇敢で全力を傾けたシーンは、あなた方お二人がおこなったものですが、特にあなた、ヴィゴですよね。このシーンの暴力はものすごく自然で、私はギレルモ・デル・トロのパンズ・ラビリンスの半分口を裂くシーンの上をいったと感じました。ちょうど、私がそのすべてをギレルモの半分の口裂きで見たと思ったときに、このバスハウスのシーンが出てきたのです。どのように暴力を組み立てるのですか? 暴力について何を言おうとしているのでしょうか? 観客の攻撃のされやすさを通して暴力の質感を出しているのでしょうか?

クローネンバーグ: そうだよ。このシーンの裸は、実際、攻撃のされやすさにかかわってくる。セックスではない。ほとんどの映画のなかの裸は性的な面を持っている。これにはそういった面がないというわけではないが、はるかに昇華されている。ちょうど思いついたので、つい最近それについて話をしたのだが、それはサイコのシャワーシーンに似ている。裸で、濡れていて、あなたを好きでないナイフを持った人たちがいる。これはとても人々が身につまされる攻撃されやすい状況だ。もちろん、すべてがきちんと準備されていて、タトゥーのためにあそこで会って、人々はタトゥーを見ることができて、それがすべて正当であることを見て、そして非常に悪い状況になる。

私はスタント・コーディネーターとカメラマンに言ったんだ。「これは、何も見えないボーンみたいな印象主義のカットだらけのものではない。暴力は肉体的なものだ。それはすべて身体にかかわる。それは人体の破壊にかかわる。そして、私はそのリアリティーにこだわる。それをすべて見たいのだ。このファイトシーンは生理的な感覚で作られなければならない。機械的なシーンを作らなければならない。身体的なシーンを作らなければならない。」

観客が映画を、他の人生を生きるものとしてみるのなら - 私はこれが映画を見る醍醐味の一つだと思うのだが、あなた自身の人生を抜け出して、おそらく本当には一度も望んだことはないものの興味がある他の人生を生きる - そうして、もしもあなたがこの映画のニコライだったら、これを経験するだろうと私は言っているのだ。私はそれを投げ捨てて、カメラの外でお手軽にやろうとはしない。すべてのきつい仕事や誰かを殺すことの難しさを、それがこの役がしなければならないことであるなら、あなたにそれを感じ、経験してもらいたいのだ。

 

私がこの映画をうんざりした批評家たちの観客の中で見たとき、彼らはみんな熱い鉄板の上のミミズのようにもぞもぞしていましたよ。

クローネンバーグ: それならこれは上手くいったね! それは素晴らしい!

やはりヴィゴは、ニコライはキリルに対して、ただ単に操るべき対象として見ている以上の感情を抱いていると思っているようですね。

映画を見終わった後いつまでも、この後どうなるのか、最後のシーンの時点でキリルはどうなったのか、ニコライとはそもそもどういう経歴の持ち主なのか、など、次々いろいろなことを考えてしまうこの映画は、やはりすごい作品だと思います。

|

« 夜のお散歩 | トップページ | デンマークの展覧会に行かれる方へのアドバイス »

Eastern Promises」カテゴリの記事

Viggo Mortensen」カテゴリの記事

コメント

punktさん
詳しい翻訳を、ありがとうございます!
こういう事を色々と考えながら観ていると、映画はあっという間に
終わってしまい、また観たくなるんですね。
深い映画です…

投稿: spring | 2008.07.12 23:44

こんにちは。映画館で二回見ることができたので、ようやく膨大なインタビューなどを読み始めたところです。
記事がたくさん書かれていた時って、punkt様がおっしゃる通り、ネタばれを避けて読めないときだったので、あとから必死に追いかけなければならないのが楽しくもあり辛くもあり。
訳していただいたのを読むと、少し追いつける気がします。

viggo-worksの掲示板にはイースタン・プロミスに対して4838ものレスが付いていてすごいですね(笑
これはヴィゴ映画の中で一番多いレス数。
何かを話したくなる映画ということでしょうか。

投稿: marie | 2008.07.13 01:03

springさん
何べん見ても飽きない映画ですよね。
いくらでも深読みできるし、厚みのある作品なんですよね。

marieさん
おお、確かに、一番レス数が多いですね。
今も非常に活発にみなさんがいろいろな考察をしていますよ。
映画賞のノミネートも多かったですし、みんなの心に残る映画なんですよね。

投稿: punkt | 2008.07.13 15:39

 興味深い記事の紹介ありがとうございます。
 作品の出来としてはHoVのほうがいいというような方が多いし、私もどちらかといえば破たんがないのはHoVのほうかなと思うのですが、語りたいのはEPですね。

 ネットで見るとEPについて語る人が多いなぁ。HoVはEPほどまで話題になっていなかったので見ている人数も、ネットに感想書く人数も比べられないですが、 でも語り方が熱い人が多い感じです。もちろんファンでなくとも。

投稿: mizea | 2008.07.14 20:21

mizeaさん
私も作品としての完成度はHoVの方が上だと思っているのですが、感情に訴えるのはEPの方なんですよね。
日本人にはなじみがあるヤクザ映画の雰囲気がありますもの。wink

投稿: punkt | 2008.07.14 22:27

 そうそう、ヤクザ映画という単語を個人の感想などでよく見かけるのですが、見たことがないのでよくわからないんです。 punkt姐さんは?
 ここはひとつ、見ておくべきでしょうか。

 ネタバレ可エントリーなので書きますと。
 雑誌「文學界」の対談で作家の金原ひとみがアンナの「エゴ」を指摘していて、すっきり納得。いろいろ納得。
 でも、個人ブログなどでは、アンナのキャラクターについて「自分の危険も省みず赤ん坊のために」とかいい人として捉えられていることがほとんどで、もやっとしてしまいます(-_-;)

投稿: mizea | 2008.07.15 09:04

mizeaさん
映画館で見たことはありませんが、TVで半分ぐらいみちゃった、なんてことはありますよ >ヤクザ映画

ヤクザ映画ではありませんが、長谷川伸の任侠物の芝居を歌舞伎で上演したときに、ノルウェー人の女性を連れて観にいったことがあるのですが、英語のイヤホンガイドを使って鑑賞した彼女は、「すごく感動した。weep」と言ってました。
任侠物なんて大丈夫だろうか、と心配したのですが、義理人情の話に国境は関係ないようです。wink

>アンナの「エゴ」
そう、たしかに。
だからこそ、アンナもとてもリアルな感じがするんですね。

投稿: punkt | 2008.07.15 22:53

 >長谷川伸の任侠物の芝居を歌舞伎で
 えー、なになになになに?ですか? 
 長谷川伸作品はテレビの舞台中継で一本刀を見たくらいなのですが、なんかイメージと違って、人の心の描写にうるっときました。 きっと世界共通の義理人情の世界ですね。。

 舞台話暴走しそうなのをぐっとこらえて、おやすみなさいcherry

投稿: mizea | 2008.07.15 23:42

mizeaさん
ずいぶん昔のことなので、タイトルは忘れてしまいました。coldsweats01
少なくとも「一本刀土俵入り」や「瞼の母」でないことは確かです。

投稿: punkt | 2008.07.16 23:28

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 夜のお散歩 | トップページ | デンマークの展覧会に行かれる方へのアドバイス »