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イタリアの雑誌 Panorama Firstの記事(その1)

Panorama_first2008julイタリアの雑誌 Panorama First の2008年7月号に、ヴィゴの写真入のインタビュー記事(表紙もヴィゴ)が載っているそうです。

viggo-worksのこちらに、Cindaleaさんがスキャンしてくださった画像がアップされています。(クリックで大きな画像が表示されます。)
使われている写真はずいぶん前のFLAUNTに使われたものと同じですね。

記事の方も、Cindaleaさんが英訳してくださいましたので、次回と2回に分けて、全文をご紹介しようと思います。

このインタビューは、アイスランドの写真展の際におこなわれたようで、主に写真家としてのヴィゴに焦点があてられています。 

ヴィゴ・モーテンセン、夢の写真家

             By Giovanni Valerio

アメリカ人たちは、彼を「ルネッサンスマン」と呼ぶ。なぜなら、もちろん彼は俳優であるとともに、画家、詩人、ミュージシャン、写真家であるからだ。

モーテンセンは、表現の可能性として考えられる範囲全体を最大限に利用する。例えば、彼が一つの言語から別の言語へと移り変わるように。彼の父のデンマーク語から英語に、子供時代アルゼンチンで学んだスペイン語に、イタリア語に。

「あなたの国に何週間か滞在したら、ちょっとイタリア語が話せるよ。」彼は微笑んだ。

彼がいつも携えているカメラのレンズのように開かれた心。

彼の写真には、彼が世界中を旅した時に訪れた場所の名前が付けられている、サンタモニカ、クラクフ、ウラル、アルバカーキ、トロント、アラトリステの荒地、ヒダルゴの馬たち、ニュージーランドのミドル・アースの風景。

セットでは、彼はいつも人々に囲まれているが、時々、一人でいることのほうを好む。

彼は車を借りて、目的地もナビゲーターも無しで一人、時には彼の息子のヘンリー(20歳)と共に自分を消す。

チョコレート(カカオ80%)を補給し、マテ茶、カメラ、そして逃げ出す。

空の一片を捕らえるため、あるいはドナウ川の川岸でハトにえさをやる老人を、あるいは森林にろ過された日の光を捕らえるため、静かに彼は止まる。

いつも裸足なのは、彼がより大地とのつながりを感じるための一つの方法なのだ。

私たちが会った場所、そしてそこで8月31日まで最近の彼の写真を展示している、レイキャビックの写真美術館の中でさえ、黒いカウボーイブーツを脱いだ後、彼は裸足だった。

このデートの後、私たちは映画館で彼に会えるだろう、西部劇 Appaloosa でエド・ハリスとともに(アメリカ公開は9月)、そして、コーマック・マッカーシーの小説を原作とする、終末後の世界のスリラー The Road で(11月に)。

今は、私たちにとって彼は一人の写真家にすぎないとはいえ、「ヴィゴの考え」は古いハッセルブラッドや、簡単な使い捨てカメラのレンズから出てくる。

写真家モーテンセンは、毎日の生活からディテール(そして詩)を発見するために、人々にその目を開いておくことを勧めている。

彼はプルースト(「本当の旅は新しい風景を探し求めることではなく、新しい目で世界を見つめることなのだ。」)やブッダ(「すべてを疑い、自分自身の光を見つけよ。」)を引用する。

カメラによって、ヴィゴは彼の道の光を見出した。

様式的な黒と白で、空の青の中に燃える日没に、彼が発見した光がある。

「あらゆる瞬間の光と闇は奇跡だ。」と彼は、ウォルト・ホイットマン(アメリカの詩人、作家。詩集 Leaves of Grass を書いた。)を引用した。

「いまを生きる」の中のように、彼はパシャッと『現在を掴め』をつかむことを誘っている。「私は、自分の経験、人々との出会いの軌跡を記録するために写真を撮っている。」

長い沈黙とタバコを自分で巻く合間に、深い静かな声で彼が説明するように、哲学者ソロー(訳注:ヘンリー・デイヴィッド・ソローと同じように、美しさと自由を見つけ、人生の本質を見つけるために、ヴィゴは森の中に、荒野の中に、自然の中に旅して消えることを好む。

軌跡を記録するため、とあなたは言いました。でも、なぜ私たちは、自分の周りで見るものの写真を撮ったり持ち続けなければならないのでしょうか?

「この世界は、何らかの形で私たちみんなが寄与している一つの夢だ。私たちは、気づいても気づかなくても、気に入っても気に入らなくても、その夢の一部分なのだ。これらの写真は私の夢の一部で、私がこの世界に存在し活動した道のりの一部だ。

これらを私が見せるとき、これらを私が見るとき、あるいは私たちがこれらについて語るとき、それらは別の夢も包含する。その夢、その瞬間に光がどんな風だったかという記憶、それらの写真を撮った場所がどんなだった。これらは光の「記憶」で、それはまさにアイスランドで写真のことを言う lijosmynd で、これは lijos (光) と mynd (記憶)なのだ。

写真を撮ることは、まさにその瞬間のように、光の記憶を固定するという意味がある。

多くの人々が芸術や、自然のような物事や、人生そのものに興味がないように見えるとはいえ、私たちは自分自身に記憶にとどめるように強いる必要があるし、人生に深くかかわるように強いる必要がある。」

その2に続く

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