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ローマのヴィゴについて Omero.it の記事(その5)

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ローマのヴィゴについて Omero.it の記事(その4) の続き、いよいよ最終回です。

この記事は、El Alma de Viggo で LadyArwenさんが紹介してくださった、Omero.it の記事(イタリア語)を、viggo-worksで、Cindaleaさんが英語に翻訳してくださったものをベースに、ご紹介するものです。

とても魅力的な記事を見つけてくださったLadyArwenさんと、英語に訳してくださったCindaleaさんに、あらためて感謝いたします。

 

午後は、TV放送のセットで、ヴィゴ・モーテンセンとエンリコ・ロ・ベルソは再び分かれた。ヴィゴはネクタイをはずして、ピンストライプのスーツの下に、小さなボタンがついたサンロレンソの新モデルのシャツを着た。欠かせないマテ茶は、ちょっと離れた床の上だ。

今朝、私たちは英語で仕事をはじめたが、もしもスペイン語の方が良ければとたずねると、彼は喜んで合意した。

休憩の間、私たちはアルゼンチン、ブエノスアイレスと、北のボリビア国境近くの場所、静けさの中、太陽の光の下、オレンジ、ピンク、緑の陰影をともなって輝く、果てしの無い峡谷の広がりの場所、について話をした。
岩、静けさ、インディオそしてサルタの町。(訳注:viggo-worksでYelwroseさんが、サルタの写真を紹介してくださっています。色とりどりの地層がとても美しいですよ。)
ヴィゴは私たちに、彼の出版社を確立したのは、まさにあそこだと言った。

私たちは彼に、何年間アルゼンチンで過ごしたのか尋ねた。彼の答えは「私が1歳半から9歳までだ。」 そして私たちは、哀愁が彼の目にさっと浮かび、彼のスカンジナビアの顔に尽きることのないホームシックを見た。

アラゴルン卿は今までどうやって、よりもてあますものを、アルゼンチン人としての魂、馬やマテ茶やサンロレンソ・デ・アルマグロへの情熱を隠したスカンジナビアの顔立ちよりも、より完全に隠蔽できたのであろうか。

彼の両親が離婚する前の子供時代の昔の幸福と、遍歴の人生がマテ茶の容器に閉じ込められ、チームの旗にくるまれている。だが、これは我々の仮説であって、無為な白昼夢だ。

ヴィゴが過去の戦争と現在の戦争の比較についての質問に答えている間に、遠いアルゼンチンがゆっくりとセットに忍び込んだ。彼は、アラトリステは、世界と戦争が存在して以来、かつて同じように存在した兵士たちとよく似ていると言った。戦場で人生を過ごし、彼の仲間への連帯によって動かされて行動する。

彼(アラトリステ)の言葉は、今日、イラクから帰還した兵士たちの言葉の繰り返しだ。「私たちは、前線が何でどこなのか知らないし、だれのために、何のために戦うのか分からないが、我々の仲間のために、彼らが私たちのために同じようにしてくれることを期待して、彼らのことを思って留まっているのだ。」

彼は最後のシーンの、ロクロアの最後の敗北、スペイン兵たちがフランス人たちから提案された降伏を拒絶し、彼らが分かっていない何かのために参加して、ともに死に向かったシーンについて話をした。彼は本当に感動したし、助言するために来ていたスペイン陸軍の人たちは撮影終了の時に泣いていた。

インタビューとインタビューの間、ヴィゴはタバコを吸い、リラックスして彼に聞きたがった人たちとサンロレンソについて話をした。彼は、そのファンたちは世界で一番で、最高の歌を持っていると言った。それはボカのサポーターたちも認めていることだ。その歌が "栄光" と呼ばれているのは偶然ではない。
ヴィゴは、旗を彼の後ろに立っていた映画のポスターに掛けて、別の小さな旗を肘掛け椅子の肘掛の上に広げた。彼はピンストライプのジャケットを脱ぎ、チームのシャツだけを着ていた。

遍歴の世界と、最後には注意深く黒と赤のバッグに仕舞い込まれた記憶に満たされて、彼は笑ってセットで楽しんでいた。世界市民、遍歴の旅行者、聖杯の騎士。

マテ茶を手に、彼はブダペストに戻る準備を整えた。
通りで車が彼を待っていて、彼は出発した。廊下の孤独さの中、礼儀正しい歩みとラテン魂、スカンジナビア人の顔の上の "ガウチョ" の哀愁とともに。

07年6月24日 22:48 記す

 

著者の Lorenza Del Tostoさんが、ヴィゴのことを深く理解しようとして共感しているのが感じられて、素敵な記事でした。
聖杯の騎士(ただし聖杯はマテ壷(笑))だなんて、Perceval Press の名前の由来が、聖杯の騎士パルシファルであることにも引っ掛けてあるのかもしれませんね。

サンロレンソの応援歌(?)は「栄光」というタイトルのようですが、やはり1部リーグで優勝するためには、「油ベタベタ、フライドポテトサンドの歌」では難しいのでしょうか(笑)(ショーン、ゴメン!)

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コメント

素敵な記事のご紹介、ありがとうございました♪

深い共感に裏付けされたこの文章は、そのへんの通り一遍のインタビュー記事とは格が違いますね〜。
細かい表情の変化までしっかりと捕らえた素晴らしい描写に感動しました。
Lorenza Del Tostoさんは通訳として立ち会われたようですけど、実はかなりの文筆家ではないのでしょうか?
マテ壺を聖杯に喩えるなんて、そうそうできるものではないと思いますが。

びごさんのタフさにも改めて感心です。
30分寝ただけで、あの輝く笑顔とは。。。もちろん、メイクさんの努力も評価してあげなくてはいけなさそうですね。

プライベートな質問に、すんなり答えてしまったのは、睡眠不足だったからでしょうか。
本当に貴重な記事ですよね。
LadyArwenさんとCindaleaさんにも、深く感謝です。

投稿: mate_tea | 2007.07.11 23:52

punktさん、最後までありがとうございました。
そして、LadyArwenさん、Cindaleaさんに感謝します。
世界中のヴィゴファンの皆さんのおかげで、こうやってインタビューが
読めるのがありがたいです。
スカンジナビアの顔にラテンの魂とは、ヴィゴの本質をしっかり突いていますね。
またヴィゴは、イタリアにファンを増やして帰って行ったんだわ…

投稿: spring | 2007.07.12 00:17

mate_teaさん
>深い共感に裏付けされたこの文章は、そのへんの通り一遍のインタビュー記事とは格が違いますね〜。

こういう記事だと、長くても頑張って翻訳してみよう、という意欲が湧いてきます。
書き手のハートがこもっていますよね。
イタリア語から英語を経由しての翻訳なので、ニュアンスが変わってしまったり、抜け落ちたりしていると思いますが、それでも楽しんでいただければ幸いです。

springさん
スペイン語やイタリア語の記事が読めるなんて、本当に国際的なファンのネットワークがあってこそです。

>またヴィゴは、イタリアにファンを増やして帰って行ったんだわ…
そうですね。また確実にこの Lorenzaさんのハートをつかんだようですね。

投稿: punkt | 2007.07.12 00:58

 ありがとうございました。 Lorenza Del Tosto氏は通訳が本職なのでしょうかしらね。 新聞や映画雑誌向けの記事とはちがうタイプの記事で、それに細かい点を見た上での推察も興味深かったです。
 聖杯の騎士パルシファルは、遍歴もしますし。。パルシファルは「聖なる愚か者」とあだ名されるということで、このあだ名もヴィゴさんは好きで、出版社の名前にしたのではないかしらと思いました。(以前も書いたかも。好きな話なので何度でも書いちゃいますが)


 素朴な疑問で、アルゼンチンで過ごしたのは11歳までではなかったでしょうか? そう思っていたのですが。
  

投稿: mizea | 2007.07.12 20:15

mizeaさん
>素朴な疑問で、アルゼンチンで過ごしたのは11歳までではなかったでしょうか? そう思っていたのですが。

私も、あれ? と思ったんですが、原文のイタリア語の該当箇所を見ると、やはり9歳半と書かれているんです。
でも、先ほどアップした別のイタリアの雑誌の記事では、やはり11歳と言ってますね。Lorenzaさんが間違ったのかもしれませんね。

そうそう、パルシファルは「聖なる愚者」で、聖杯探索に成功した騎士なんですよね。

投稿: punkt | 2007.07.12 23:07

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