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XLSemanal ヴィゴとレベルテの対談(その2)

XLSemnal の記事の、ヴィゴとレベルテの対談の続きです。
今回も、viggo-wroks の paddyさんの英訳を参考にさせていただきました。

前回の(その1)では、ヴィゴの役作りに重要なキーワードとして、ペレス・レベルテが「闘牛士」という言葉を出したところまででした。
今回はその続きです。

XL:どうしてですか?

APR:本人に説明してもらったほうがいいと思うけど。私たち3人、タノ(訳注:監督)とヴィゴと私がアラトリステについて話し合っていた時に、私たちがヴィゴに、闘牛士だけが現在のスペイン世界で、その立ち居振舞い、その態度、敵に対する尊敬、生と死に対する尊敬をいまだに持っていると話したんだ。自分自身を雄牛の面前に置くという点で、そこには17世紀のスペイン兵士から来るものがたくさんある。そして、タノの父親は闘牛士だったので、タノ自身もすっかり闘牛の環境に関係していた。私はヴィゴに、これをアラトリステに上手く活用するように言ったんだ。

VM:その通り。私はタノに闘牛場に連れて行って、間近に見せて欲しいと頼んだ。その立ち居振舞い、その態度を学ぶことを質問することだったんだ。私が闘牛士に見たものは、とても私の役を作る上で助けになったよ。私は彼らの何人かに会って、彼らの専門について話しをした。私は彼らがアラトリステのようだと思ったとはいえ、ここで彼らの名前を出すのは彼らは好まないだろう。彼らは私たちを助けてくれた。彼らの個性、彼らの傷跡 、肉体的なものも心理的なものも両方を見て、彼らの多くが身に付けている強気の態度の向こうに恐怖があることに私は気がついたんだ。彼らはみんな雄牛を恐れている。これはとても興味深いことだと思ったんだ。闘牛場で彼らを見たことは、17世紀の銃士を理解する助けになったよ。闘牛場にはある不完全なものがある。恐ろしい何か、とても無慈悲で、むかつくような何かが。だがそこには勇気と美しさ、血と雄牛を殺す醜さの間に浮かび上がる、ある輝きもある。それは忘れられない、そして美しい瞬間だった。それは否定できないと思うね。それで私は時々闘牛を見たんだ。この映画の中で、アラトリステとその同僚の間を、希望の光が照らす時がある。この映画の登場人物たちはこの半島(訳注:イベリア半島)のあらゆるところから来ている。ポルトガル人、ナバラ人、マラガから来た人々...一緒に働く人々はそこら中から来ている。そしていつも上手くいっているわけではないが、そんなことはよくあることで、彼らは働こうと決心している。これは面白いことだ。私たちはそれを見せなくちゃならない。

APR:共同事業だ。彼らはみんな同じ船に乗っているんだ。それははっきりとこの映画の中で見せているよ。そして撮影の間に似たような何かが起きたよね。観察者として休憩、食事の間にいたんだが、単なる俳優たちというのを越えて、みんなの間に友好的な雰囲気があったことは保証するよ。何人かの戦友たちが、大変だった1日の終わりに一緒にちょっと酒を飲もうとしている、といった感じだったよ。彼らは戦場の古参兵みたいに振舞っていた。私は戦場にいたことがあるから、そこで彼らを見たことがあるんだ。

VM:私も、最初のイラク戦争で軍曹になり今また戦場に帰ってきた、私と同年代の兵士たちと会ったことがある。彼らの多くはやり過ぎだと知っていて、彼らがやっていることは正しくないと思っているが、彼らは戦場に戻る。彼らは自分たちの友人のため、同僚のために戻るのだ。この映画が語っていることが今起こるのなら、スペインはアメリカになって、アラトリステはそうではないのに同僚がキャプテンと呼ぶ海兵隊員になるかもしれない。

APR:(微笑んで)ヴィゴ、フランダース第3連隊はあの時代の海兵隊だったんだ。それはまったく疑問の余地がないね。私は君に賛成だよ。あの時代と現時点の間にはとても明らかな類似点がある。だが、文学的にも映画的にも、それはこじつけじゃない。それは現実だし、それは歴史的なものだ。実際、アメリカ人は我々が17世紀に経験したのと同じ状況を潜り抜けている。そして、私たちのように、彼らも破綻するだろう。我々がそうだったようにね。

VM:(微笑む)

APR:だが、我々はあの時代の事実を、現代の目で判断するべきではないと思うんだ。現代では、基準はあらゆることに対して政治的な正しさを当てはめることだ。私たちは、あれが違った時代だったことを忘れている。困難で、暴力的で、人々が何とか生計をたてようとするとても厳しい時代。

VM:私たちは良い時間を過ごしたんだ。タノは良き指導者で良きカピタンだ。彼は共存の例を作り出すことができた。

APR:ところで、私はボブ・アンダーソンが来た時のことを思い出すよ。映画のために雇われた剣の達人。彼が最初にタノに尋ねたのは「さて、ここでは人々は殺すのかね、そうじゃないのかね?」そしてタノの答えは「ここで、この映画では、人々は本当に殺しあいます。」そこでアンダーソンは叫んだ「やっと、互いに殺しあう映画だよ。どうやって小さなバレエジャンプをするかを教えるのは、もううんざりなんだ。」それで、殺しがある。実際、ヴィゴがある男を殺すシーンがある。だから私は彼に言うんだ「おまえは殺人者だ。おまえはとんでもない野郎だ。」

VM:(笑)アルトゥーロ、アラトリステの最初の本が出版されたのは何年だっけ? 1995年? 1996年?

APR:その辺だよ。その2年のどちらかだ。

VM:どんな風に受け入れられたのかな? 世間には好評だった?

APR:とても好評だったよ。最初から大当たりだった。だから私はとても嬉しかったんだ。その当時、頭にきてアラトリステは殺人者で自分の息子に読ませるのにふさわしいかどうか疑問だと言った批評家がいたのだけれどね。考えても見ろよ! そして今は学校で読まれているよ。でも、こんな風だったし、こんな風に言われたものだった。だから、私はボブ・アンダーソンの考え方も、この撮影では重要だったと思うんだ。

VM:恐ろしい男、ボブ。いつも臨戦態勢なんだ。

APR:彼は、養成訓練の間、悪魔のように俳優たちに汗をかかせていた。そして、彼は俳優たちを侮辱するんだ「おまえは今殺されたぞ、ほらおまえ。くずめ。」

VM:(深刻な顔をして)そう、そうなんだ。すごく厳しいんだ。

APR:彼は俳優たちを動きで疲れ果てさせてた。彼らををヘトヘトにさせてたよ。

VM:(笑)彼は我々を、訓練に訓練して、素早く汚い闘い方をさせたんだ。この対談は、実のところ、男の子について話しすぎてるんだけど。でも、この映画には美しい女性たちもいるよね。アリアドナ・ヒル、エレナ・アナヤ...忘れられないね。

APR:でも彼女たちはタフな女性だよ。とってもたくましい。彼女たちは、ヒーローの腕の中に崩れ落ちる、哀れな乙女じゃないね。

VM:いじめっ子の女性たち!(笑)

APR:その通り。武器を持つことができる女性たちだ。(英訳注:本当は"豪胆な"とか"果断な"という意味なのですが、ここはあえて文字通りに)

VM:解った? 私たちはいつも結局、同じことについて話してるんだ(笑)

女性たちの話はこれで終わっちゃうんですよ。(笑)
なんだか、女優さんたちが強そうですね。
ボブ・アンダーソンが、棒を持って叩きながら、ビシビシとしごいていたという話は、以前に別のペレス・レベルテと監督のインタビューでも読んだことがあります。

二人の対談はまだ続きます。

XLSemanal  ヴィゴとレベルテの対談(その3)

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