« ハワード・ショアが、アラトリステの音楽を担当? | トップページ | 「ウクレスでのアラトリステとの再会」(その6) »

「ウクレスでのアラトリステとの再会」(その5)

「ウクレスでのアラトリステとの再会」(その4)の続きです。

Diario de León 6月26日の記事より

Viggo-Works の paddyさんが英語に翻訳してくださったものを参考にして、ところどころスペイン語の辞書をひきつつ要約してご紹介しています。

今回参考にした paddyさんの英訳

午後の時間は、ヴィゴとのスペインやレオンの歴史、地理に関する話や、写真や本、古い詩、音楽などの話で瞬く間に過ぎ去ります。

私は彼が Diario de León の、彼のクルエーニョへの贈り物の時に彼に捧げられた記事を一瞥するのを見ていた。彼は言った。「どうか盗作者と思われるようにしないで欲しい。ここにある2つのネルーダの詩に私の署名がついているよ。Amarillo と Desconocido だ。この点を明記してくれると有難いのだけど。」明らかに、あの日の私の分別はあまり切れ味が良くなかったようだ。

ここでヴィゴが指摘している2つの詩は、viggo-works のニュースフォーラムにミゲル記者から提供された、記事のスキャン画像の余白部分に書き込まれているものです。
この当時、viggo-wokrsでもこの2つの詩はヴィゴのものではなく、ネルーダの有名な詩だということは指摘されていました。ミゲル記者は、ちょっと勇み足だったようですね。

ブレダの太陽の下

2日目はまったく違っていた。戦闘は可能ならば、さらにもっととヤネスから要求され、精力的な男たちは、焼け付く太陽の下、フランス騎兵隊の恐ろしい突撃を頑強にも持ちこたえていた。我らがアラトリステは、負傷して埃まみれではあったが怖気づいてはいず、彼に近づく全ての騎馬の男たちを彼のマスケット銃で撃ち落していた。戦いの地獄、キャプテンの偉業と話の最後がどのように終わるのかは、映画が公開される2006年の年末に見ることができるだろう。

監督やヴィゴの話によると、撮影の進捗はスケジュール通りで非常に順調だったそうです。

午後の撮影終了の後、私が彼に、今やレオンの同朋である仲間が彼に送ってきたあらゆるものを渡していた時に、アラトリステに会うためにはるか遠くから旅してきたロシア人の女の子 Xenia は、私と同じようにその希望は満たされた。深く心を動かされて、その晩、撮影仲間とそれを分かち合えるので彼は喜んだ。「分かち合う」がこの人の人生でもう一つの重要な言葉だ。

この偉大な冒険の終了までに、わずかに8日を残すのみとなったが、私は、大量に殺戮された歩兵部隊を2度目に訪問する機会があった。彼に遠く離れたラ・パンパ(訳注:アルゼンチンの地名)の温かさを届けようと、レオンに家があるアルゼンチン人の家族から貰った、かの有名な "cuervos"(訳注:直訳するとカラス達)- 彼の最愛のチームであるサン・ロレンソのサポーター達 - の写真まであって、今回は、私の車のトランクはぎっしりと一杯だった。「彼らに会いに行くよ。」彼は感動して私達に言った。今回は会見は短かったが、レオンから届いたあらゆる物を彼が好んでいるのは明らかだった。「私は帰るよ。」

そして、本当に彼は帰った。

ミゲル記者は、レオンの人たちからの差し入れを、せっせとヴィゴのところに届けていたんですね。なんていい人なんでしょう。
記事はまだ続きます
 ⇒ 「ウクレスでのアラトリステとの再会」(その6)

|

« ハワード・ショアが、アラトリステの音楽を担当? | トップページ | 「ウクレスでのアラトリステとの再会」(その6) »

Viggo Mortensen」カテゴリの記事

アラトリステ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ハワード・ショアが、アラトリステの音楽を担当? | トップページ | 「ウクレスでのアラトリステとの再会」(その6) »